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日本の天文学者 ウィキペディアから
神田 茂(かんだ しげる、1894年〈明治27年〉2月21日 - 1974年〈昭和49年〉7月29日)は、日本の天文学者。元横浜国立大学教授。大阪府出身。アマチュア天文家の指導者として有名。
1894年(明治27年)大阪に生まれる。麻布中学、二高を経て、1920年(大正9年)東京帝国大学理学部天文学科を卒業、東京天文台(国立天文台の前身)の技手となる[1][2]。同じ年の8月20日にはくちょう座に新星を発見している[3]。
東京天文台では『理科年表』や日本天文学会の会誌『天文月報』の編集に当たった[1]。また星の古記録を組織的に収集し『日本天文史料綜覧』(1934年)や『日本天文史料』(1935年)をまとめた[4][5]。
1943年(昭和18年)に天文台を退官すると湯河原に移住し、1945年(昭和20年)「神田天文学会」を創立、翌年には日本天文研究会と改称した[5]。一時期横浜国立大学教授を務めたこともある[6]。アマチュア天文家の指導に熱心で、「西の山本一清、東の神田茂」と称された。1974年(昭和49年)、肝臓癌のため死去[7]。
遺族からの寄付を元に日本天文学会が神田茂記念賞を設け、1976年(昭和51年)アマチュア天文学の分野で功績顕著な9人に対し賞状とメダルが贈られた[8][9]。
神田の弟子に広瀬秀雄がいる。
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