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中国唐代の禅僧 ウィキペディアから
石頭希遷(せきとう きせん)は、中国の唐代の禅僧。諡は無際大師。俗姓は陳。端州高要県の出身。慧能の弟子である青原行思の弟子であり、その一派を石頭宗と呼んでいる。
初めは六祖慧能に師事していたが、その遷化にあい、吉州の青原行思のもとへ移り、法嗣となった。
その後、南嶽衡山の石上に庵を編んだため、「石頭」と称されるようになった。門弟子は多かったが、当初、さほど目立った存在ではなかったようである。圭峰宗密は、牛頭宗の一派と見誤っている。
門下には、薬山惟儼や天皇道悟、丹霞天然らの著名な禅匠が見られ、馬祖道一の洪州宗と勢力を競うまでになった。ただ、天皇道悟や丹霞天然は、石頭だけではなく、馬祖のもとでも修禅に励んでおり、逆に馬祖の弟子となる五洩霊黙が石頭のもとに居たように、両派の門下の往来が頻繁であったことを窺うことができる。
曹洞宗大本山總持寺には石頭のものとされる肉身仏(ミイラ)が安置されている(非公開)。
元々中国の湖南の寺院に祀られていたが、辛亥革命の際に寺院が兵火を受けたため、日本人が保護して日本に持ち込んだと伝わる。日本では大正博覧会に出展され、その際の写真が現存する[1]。その後青梅市に安置されていたが、日本ミイラ研究グループの手に渡り、さらに1975年(昭和50年)から総持寺で祀られることとなった[2]。
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