石脇城
伊勢盛時が拠った静岡県焼津市の城。 ウィキペディアから
伊勢盛時が拠った静岡県焼津市の城。 ウィキペディアから
石脇城(いしわきじょう)は、静岡県焼津市石脇下字山崎にあった日本の城。1476年(文明8年)頃から1487年(長享元年)にかけて伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)が滞在した城とされる[1]。
静岡県中部、静岡平野と志太平野を分断する山塊の一峰、高草山の南側山裾から、瀬戸川の沖積地へ張り出す標高20~30メートルの小丘を縄張とする平山城である。曲輪があった平坦面は「城山八幡宮」と「大日堂」と言う寺社の堂宇が建てられているが、その背後などに腰曲輪、土塁、竪堀、虎口などの遺構が残存する[2][3]。
伊勢盛時(北条早雲)は、駿河の守護・今川義忠の正室北川殿の弟(または兄)であり、1476年(文明8年)に今川義忠が戦死し後継争いの内紛が発生した際、幕府の命により駿河に下向している。伊豆国江梨郷の鈴木氏文書に『早雲寺殿様、駿州石脇御座候[4]』とあることから、当城が盛時の居城であったと考えられている[3]。
盛時は義忠の子・龍王丸(今川氏親)の擁立に成功し、1487年(長享元年)には龍王丸の政敵小鹿範満を討って富士郡下方荘を与えられ、駿河東部へ移動したと考えられることから、石脇の廃城はこの頃と考えられているが[1]、引き続き当城に居住したとする説もある[5]。
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