矢土 勝之(やづち[1] / やつち[2] かずゆき、1849年3月30日(嘉永2年3月7日[1][注釈 1])- 1920年(大正9年)11月28日[1][2][3][4][5])は、明治から大正期の漢詩人・官僚・政治家。衆議院議員。字・実夫[1]、号・錦山[1][6]。
経歴
伊勢国飯野郡阿波曽村(三重県[2]飯野郡射和村大字阿波曽[6]、飯南郡射和村を経て現松阪市阿波曽町)[注釈 2]で生まれる。土井聱牙に師事し漢学を修めた[1][2][3][5]。
太政官に出仕[2][3][5]。東京で岩倉具視、伊藤博文の知遇を得た[1]。1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(三重県第4区、自由党)で当選した[1][7]。1902年(明治35年)8月の第7回総選挙(三重県郡部、立憲政友会)では落選し[8]、衆議院議員に1期在任した[2][3][5]。
森春濤の高弟で[4]、その子森槐南らと交友した[1]。伊藤博文没後は故郷に隠棲し[4][6]、1920年11月、尿毒症併発により山田赤十字病院で死去した[4]。
著作
- 過元旻 編、矢土勝之 点『二十二史言行略 第3・4冊』鳳文館、1885年。
脚注
参考文献
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