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『睡虎地秦簡』(すいこち しんかん)は、1975年に中華人民共和国湖北省孝感地区雲夢県睡虎地にて発見された竹簡群のことである。秦の官吏を務めていた喜という人物の個人的な所有物であったもので、秦代の法律などの貴重な一次資料となっている。『睡虎地秦墓竹簡』、『雲夢秦簡』(うんぼう しんかん)[注釈 1]とも呼ばれる。
1975年に睡虎地にて土木工事中に古墓に行き当たり、翌年にかけて発掘が行われて全部で12基の秦代の墓が発見された。その中の11号墓の中に人骨と共に1150点余りの竹簡が埋葬されていた[2]。竹簡の中の「編年紀」によると、この墓の埋葬者は秦の南郡安陸県で県の下級官吏を務めていた喜という人物で[3]、昭襄王45年(紀元前262年)に生まれた。始皇帝30年(紀元前217年)に年表が途切れるので、この年ないし遠くない年に死去したと見られる[4]。
これの研究に当たったのが「睡虎地秦墓竹簡整理小組」と名づけられたプロジェクトチームであり、これによって内容が10種に分類整理された[5]。
これらの竹簡は喜が生前に実際に手元に置いて、日常の業務をこなすにあたって使われていたと考えられ、死後に家族たちがそれらを副葬品として埋めたと考えられる。秦律に関する文章は、喜が条文の良く使う部分を抜粋したものと考えられており、秦律全てを語ったものではない[8]。
「法律答問」は理念的な法律の条文ではなく、当時の実際の社会的状況を窺い知ることができる貴重な史料となっている[13]。
秦といえば商鞅が変法により体制変革を成し遂げて、更に始皇帝が徹底した法家政策で天下を統一したことは良く知られるが、秦の後の前漢およびその後の王朝が儒家を支配理念の基礎においたこともあり、その具体的内容についてはほとんど分かっていなかった[14]。その中で現れた「睡虎地秦簡」は同時代史料として学界に衝撃を与え、この分野の研究の隆盛を招いた[14]。
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