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真田 幸専(さなだ ゆきたか)は、信濃松代藩の第7代藩主。近江彦根藩主・井伊直幸の九男。
天明5年(1785年)11月4日、4人の男子にいずれも先立たれた第6代藩主・真田幸弘の養子となった。幸弘は、真田一族からでなく幕閣有力者の子弟を養子として迎えることで、幕府との結び付きを強め、財政危機を招く課役を避けようと考え、井伊家から幸専を娘婿として迎え養嗣子としたという。
同年11月15日、将軍・徳川家斉に御目見し、同年12月18日に従五位下豊後守に叙任した。寛政4年(1792年)に松代に入った。寛政10年(1798年)8月21日、養父の隠居により家督を継いだ。この頃、松代藩では財政が極度に悪化していたため、幸専も財政再建を主とした藩政改革を余儀なくされた。しかし幕府から江戸隅田川の工事などを命じられ、さらに財政が逼迫した。
幸専もまた後継者となる男子に恵まれなかった。そのため参勤交代に際して、はじめは柳沢保光の六男・久次郎(後の柳生俊豊)、次いで松平忠馮の次男・政之助(後の井上正廬)を仮養子にした。文化12年(1815年)、松平定信の次男・幸貫を養嗣子として迎えた。文政6年(1823年)8月20日、幸貫に家督を譲って隠居した。文政11年(1828年)7月に江戸藩邸にて逝去、大暁院と号した。享年59。
父母
正室
養子
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