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真中 忠直(眞中、まなか ただなお、1838年7月30日(天保9年6月10日[1][注 1])- 1906年(明治39年)4月27日[1][2])は、日本の逓信官僚、実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・増田[1]、幼名・隼太[3]。
武蔵国葛飾郡惣新田村[1](のち埼玉県北葛飾郡吉田村[3]、現幸手市)で、増田彦右衛門の二男として生まれる[1]。その後、埼玉郡川口村(現加須市)真野家の養子となる[1]。江戸に出て蘭学、漢学を学んだ[1][3]。
明治3年3月12日(1870年4月12日)民部省に出仕し駅逓少令史に任官[1][2][3]。以後、駅逓大令史、駅逓権少佑、駅逓少佑を歴任[2]。明治4年7月27日(1871年9月11日)民部省が廃止され大蔵省へ異動[2]。駅逓司四等出仕、駅逓権中属、駅逓権大属、駅逓大属を歴任[2]。1874年1月8日、駅逓寮が内務省へ移管[2]。その後、駅逓権助、駅逓助を務め、1877年1月、駅逓寮が廃止され駅逓局となり内務権大書記官に就任[2]。二等駅逓官、二等駅逓官、一等駅逓官、駅逓局会計課長、駅逓局副長などを歴任し、1884年6月10日に退官[2]。1886年4月22日、逓信省逓信管理局長として復帰し、1888年5月18日に非職となった[2]。前島密などと共に郵便草創期からその事業の発展に尽力した[1][3]。その後、内国通運会社顧問、日本製鉄会社検査役、同社長を務め、1890年12月16日、依願免本官となり退官した[2]。
1890年7月、第1回衆議院議員総選挙に埼玉県第三区から出馬して当選[4]。その後、独立倶楽部に所属して、衆議院議員を一期務めた[4]。墓所は文京区深光寺。
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