相坂峠
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相坂峠(あいさかとうげ)は、兵庫県たつの市新宮町(旧揖保郡新宮町)から佐用郡佐用町(旧佐用郡三日月町)へ至る峠。標高は180メートル。
相坂峠
相坂峠国道179号を西北へ、揖保郡新宮町から佐用郡三日月町へ至る峠が相坂峠である。
相坂という呼称は、揖保郡と佐用郡のあいだの坂のことと思われがちだが、これは奈良時代の「播磨風土記」に登場する「阿為山(あいやま)」から由来したと思われる。 鎌倉時代には、承久の変で後鳥羽上皇が北条義時のために壱岐島へ流される時この西栗栖の相坂を越して三日月の東部にある椋の大木に腰をかけて休み、静かに相坂をふりかえり、京都の東の逢坂と同じ名であることを聞き、「立帰り越しゆく関と思はばや 都にききし逢坂の山」
と歌った。これは「今はたとえ壱岐島に流されてても再びこの相坂を越して都に帰りたい」と念願されたものと推察される。しかしその機会が無く、亡くなったことは名残惜しいことである。 その約百年後には、元弘の変で北条高時のために後醍醐天皇も壱岐島へ流される時ここを越している。なお、江戸時代には中国山陰地方の諸大名が参勤交代のためここを越している。 相坂峠は古来因幡街道中の難関として世に知られ、急こう配の峻険な坂で昔は牛馬と籠でここを越していた。明治時代に荷車が通行するようになると道幅が狭いため通行が困難となり、明治14年、明治32年の二度の改修工事が行われた。
— 相坂峠(休憩所)案内銘板より
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