皇貴妃
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皇貴妃(こうきひ)は中国史における明清期に用いられた皇帝の妃嬪の封号の一つである。皇帝の側室の中で、最も高位の者に与えられた。。また、朝鮮やベトナムの阮朝においても用いられた。
歴史
歴史上、最初に皇貴妃に封じられたのは、明の景泰帝の寵妃唐氏である。しかし、景泰帝が、兄の英宗に皇位を奪還されると、唐氏も皇貴妃の位から降格された。また、成化帝の寵妃で、悪女として知られる万貞児も皇貴妃に封じられた。
清朝初期において皇貴妃の位は存在しなかったが、順治帝が寵妃の董鄂氏を皇貴妃に封じて以来、清朝においても、皇貴妃の位に封じられる妃嬪はあらわれはじめたが、定員は一人で、基本的には、側室から皇后に昇格する時。皇后の候補者に一時的に与えられたり、皇帝から特に寵愛を受けた妃嬪が死の直前や死後に封じられることが多かった[1]。
各国・歴代王朝での皇貴妃の一覧
中国
明
- 景泰帝:皇貴妃唐氏
- 成化帝:恭肅端慎榮靖皇貴妃万氏
- 嘉靖帝:莊順安榮貞靜皇貴妃沈氏、栄安恵順端僖皇貴妃閻氏、端和恭順温僖皇貴妃王氏
- 万暦帝:温肅端靖純懿皇貴妃王氏、恭恪恵栄和靖皇貴妃鄭氏、恭順栄荘端静皇貴妃李氏
- 泰昌帝:李康妃
- 天啓帝:皇貴妃范氏、皇貴妃王氏、皇貴妃任氏
- 崇禎帝:皇貴妃袁氏、恭淑端恵静懐皇貴妃
清
朝鮮
李氏朝鮮
ベトナム
阮朝
脚注
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