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日本のギタリスト ウィキペディアから
甲斐 完司(かい かんじ、1959年5月 - )は、日本のギタリスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサーである。埼玉県朝霞市出身。埼玉県立志木高等学校卒業。ロックユニットCRYMAxxxのメンバー。
1977年、ヤマハ東京支店が主催するEastWest全国大会(1976年から1986年にかけて年1回行われたアマチュアバンドのコンテスト)に、神山暁雄(現ホッピー神山)らと「HARD MAPLE」として、最年少の17歳で出場。この大会にはアマチュア時代のサザンオールスターズやカシオペアも出場していた[1]。この頃のHARD MAPLE(後にMARS)の活動は、2018年12月に発売された「ウラワ・ロックンロール・センターの軌跡」(CD17)に収録されている[2]。
高校卒業後、EastWest77の優秀グループ「リバーサイド」[3](デビュー時のバンド名:とし太郎&リバーサイド)に加入し19歳でメジャー・デビュー。1980年にリバーサイドがアルファレコードからリリースした2ndアルバム「WANDERLAND」からギター& バックボーカルとして参加した[4][5]。ちなみにリバーサイドの「陽よりまぶしく風よりはげしく」はFIFAワールドユースサッカーのテーマソングであるが、この大会には朝霞市立朝霞第二中学校時代の同期生[6]のサッカー選手高橋貞洋が出場した。
とし太郎&リバーサイド解散後、近藤真彦の第2期専属バックバンド「ダブルス」のギタリストとして活動。ダブルス解散後は少年隊の専属バックバンド「BOYZ」のバンドリーダーとしてサポート活動を行う。その後、尾崎豊&Heart Of Klaxonとして、「TREES LINING A STREET TOUR」、「広島平和コンサート・ALIVE HIROSHIMA '87」、「BEAT CHILD」に参加。アルバム「街路樹」のレコーディングにも参加している。
1989年、依知川伸一(b,vo)[7]、上島隆(ds)とNUDEを結成。1990年ファンハウスからデビュー。アルバム2枚、シングル2枚をリリースし、1992年まで活動した。その他、アーティストのサポート、数々のセッション、スタジオワーク、作曲・編曲、プロデュースを行う。
2017年からボーカルの大橋拓也とユニットを組み、サポートメンバーに柳本将史(b)、Satoko Kanzaki(Key)を迎え、CRYMAxxxとして活動している。
他、数々のブッキングライブに出演。
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