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田島 政次(たじま まさじ、1929年4月5日[2] - )は、日本の陸上競技選手。
1952年ヘルシンキオリンピックでは走幅跳と100m走、1956年メルボルンオリンピックでは走幅跳と400mリレーに出場した。
佐賀県佐賀郡久保田村(現在の佐賀市久保田町)生まれ[3]。小学校時代にオリンピックの記録映画を見、オリンピック出場を志したという[4]。佐賀県立佐賀工業学校(現在の佐賀県立佐賀工業高等学校)機械科に入学し、本格的に走幅跳を始めた[3]。
1947年に佐賀工業学校を卒業し、いったん社会人となったのち、中央大学に入学[3]。中央大学在学中の1950年から1953年にかけ、日本陸上競技選手権大会の走幅跳種目を4連覇した[3]。
1951年の第1回アジア大会(ニューデリー)では、走り幅跳びで金メダルを獲得、また400mリレー(細田富男・田島政次・大橋敏宏・生駒一太)でも優勝した[4][5][6][注釈 1]。
1952年のヘルシンキオリンピックでは、走幅跳と100m走に出場。100m走では予選落ちしたが[1]、走幅跳では7.00mを記録して10位と健闘した[3][1]。
1954年アジア競技大会(マニラ)では、400mリレー(TAKATANI Yoshihiro・田島政次・細田富雄・清藤亨)で金メダルを獲得した[5][6][注釈 1]。
大学卒業後、いったんは陸上競技を引退したが[4]、1956年のメルボルンオリンピックでは、走幅跳と400mリレーに出場した[1](オリンピック時の所属は読売新聞社[1])。走幅跳びでは7m11を跳ぶものの予選落ち。400mリレー(赤木完次・潮喬平・清藤亨・田島政次)も予選落ちとなった[1]。
その後は日本オリンピック委員会(JOC)で広報などを担当した[4]。2018年には、メダルやユニフォームなどを母校の佐賀工業高校に寄贈した[3]。
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