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安土桃山時代から江戸時代初期の女性。前田利常の正室。徳川秀忠と浅井江の次女 ウィキペディアから
珠姫(たまひめ、慶長4年6月11日(1599年8月1日)[1] - 元和8年7月3日(1622年8月9日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の女性。前田利常の正室。
徳川秀忠の次女で、徳川家康の内孫。母は太閤豊臣秀吉の養女・達子(浅井長政の三女・お江(ごう))。姉に千姫(豊臣秀頼正室、本多忠刻正室)、妹に勝姫(松平忠直正室)、初姫(常高院の養女で京極忠高正室)、東福門院和子(後水尾天皇の妃)、弟に徳川家光(3代将軍)、徳川忠長(駿府城主)、異父姉に豊臣完子(九条幸家室)、異母弟に保科正之(会津藩初代藩主)がいる。幼名は子々姫(ねねひめ)。
慶長5年(1600年)、前田利常と結納をかわす。翌慶長6年(1601年)江戸から金沢に入り、結婚する。この時わずか3歳である。ただし、大西泰正は大野治長が前田家家臣・山下兵庫に充てた書状に中に利常の祝言について触れた文言があるのに着目し、大野の書状の書かれた時期により、実際に婚儀が行われたのは慶長10年(1605年)4月頃とする説を提示している[2]。
慶長18年(1613年)長女・亀鶴(後に森忠広室)を出産。元和元年(1615年)長男・光高を出産。元和2年(1616年)に次女・小媛を出産。元和3年(1617年)次男・利次を出産。元和4年(1618年)三男・利治を出産。元和5年(1619年)、三女・満(後に浅野光晟室)を出産。元和7年(1621年)、四女・富(後に八条宮智忠親王妃)を出産。
元和8年(1622年)五女・夏の出産後体調を崩し、7月に病没。享年24。夫利常との間に三男五女を儲けた後の死であった。戒名天徳院大禅定尼。法号天徳院。同年、菩提寺として高野山に天徳院が、翌元和9年(1623年)に金沢にも同名の寺院が、共に前田利常によって建立された。現在の墓所は、野田山墓地である。
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