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王 占元(おう せんげん)は、清末民初の軍人。北京政府、直隷派の有力者で、湖北省を統治した。李純、陳光遠と共に「長江三督」の1人とされる。字は子春。
淮軍の劉銘伝部隊の兵士から軍歴を開始し、1886年(光緒12年)、天津武備学堂第1期で学んだ。1890年(光緒16年)に卒業する。宋慶の毅軍に加わり、日清戦争に参戦した。1895年(光緒21年)、天津小站で袁世凱の新建陸軍に加わり、工程営隊官となった。1902年(光緒28年)、北洋常備軍歩兵隊第7営管帯となり、翌年、歩兵隊第1標統帯に昇進した。[2][3]
1904年(光緒30年)に袁世凱・鉄良が北洋陸軍6個鎮を編制すると、王占元は第2鎮歩兵隊第3協統領に昇進した。その後も順調に昇進し、1911年(宣統3年)4月、陸軍協都統位を授与されている。同年10月、武昌起義が勃発すると、王の第3協は第1軍に編入され、馮国璋指揮下で革命軍鎮圧に従事した。11月末には、王の部隊は李純の部隊と協力して漢陽を革命軍から奪回する。この軍功により、王は第2鎮統制に昇進し、副都統銜を授与された。[2][3]
1912年(民国元年)、中華民国が成立すると、鎮は師に改められ、王占元率いる第2師は保定に駐屯した。1913年(民国2年)、二次革命(第二革命)が勃発すると、王は革命派の鎮圧に従事した。この軍功により、陸軍上将銜などを授与されている。1914年(民国3年)3月、豫南剿匪総司令を兼任して、白朗討伐に従事した。4月には湖北軍務幇弁となった。1915年(民国4年)、袁世凱の皇帝即位を支持し、10月、壮威将軍の位を授与された。12月、袁の皇帝即位とともに、王は一等侯に封じられている。同月、護国戦争(第三革命)が勃発すると、王は襄武将軍督理湖北軍務(いわゆる湖北将軍)に任命された。[4][3]
袁世凱が1916年(民国5年)6月に死去すると、翌7月に王は湖北督軍兼民政長に任命された。府院の争いでは国務総理段祺瑞を支持し、他省の督軍たちと国会の解散を要求するなど、総統黎元洪に圧力をかけた。しかし、馮国璋率いる直隷派と段率いる安徽派の争いでは、王は直隷派の重要人物となる。護法戦争を起こした南方政府への対応をめぐって、「武力統一」を唱える段に対抗し、「和平統一」を唱える馮を補佐した。[5][3]
段祺瑞が湖南省に南方政府討伐軍を派兵しようとすると、王占元は、江蘇督軍李純、江西督軍陳光遠と共にこれを阻止する姿勢をみせる。結局、段は湖南征伐を断念した。これ以降、李・王・陳の3督軍は、「長江三督」として国政で注目を受けるようになる。1919年(民国8年)12月に馮国璋が病没すると、曹錕が直隷派の指導者となった。王は引き続き、その有力支持者となる。1920年(民国9年)6月、王は両湖巡閲使に任命された。翌月の安直戦争では、安徽派の長江上游総司令呉光新を逮捕して、その軍を没収している。これにより王の勢威は拡大された。[6][3]
しかし、王占元の湖北統治は苛酷で、省内の各階層から不評であった。また、部下の兵士たちも給料遅配等から繰り返し反乱を起こし、湖北社会を混乱に陥れている。その結果、1921年(民国10年)6月、湘軍(湖南軍)の趙恒惕と連合した湖北省有力者の蔣作賓や孔庚、李書城らが、倒王運動を開始した(湘鄂戦争)。8月5日、通城を奪われた王は曹錕と呉佩孚に救援を求めた。しかし、曹らは王を見捨て(援鄂不援王)、河南省駐屯の蕭耀南の第25師および靳雲鶚の第8混成旅を湖北省に介入。抵抗し得なかった王は、翌日下野を表明して天津に逃亡した[7][3][8]。
これ以降も、王占元は直隷派の一員として活動を続けた。しかし、湖北統治の失敗により軍事的・政治的力量は大きく損なわれ、国政への影響は限定的なものでしかなかった。1926年(民国15年)9月、五省聯軍司令孫伝芳の檄に応じ、王は訓練総監に任命され、中国国民党の北伐を阻止しようとする。また、1928年(民国17年)4月、王は張作霖から陸軍検閲使に任命された。しかし、それからまもなく、北京政府は北伐軍により倒されてしまった。[9][3]
国民政府時代になると、王占元は実業界に転進した。王は、それまで貯蓄していた莫大な資産を不動産、各種工場、銀号(銀行)などに投資して、大きな利益を上げている。1934年(民国23年)9月14日、天津にて死去。享年74(満73歳)。[10][3]
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