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王 充(おう じゅう、建武3年(27年) - 永元9年(97年)頃)は、後漢の文人・思想家。字は仲任。会稽郡上虞県の人。讖緯説や旧伝などの非合理を批判し合理的なものを追求した『論衡』を著す。その著書において儒教に対しても厳しい批判を行なっていることから、北宋以降は異端視されて省みられることがなかった。逆に1970年代の中華人民共和国での儒教批判運動の中では、孔子批判の先駆者として評価されたりもした。
王充は、幼時から周りの子がする遊びを好まず、父から奇特だとされた。六歳で学習を開始し、「礼」と「敬」が身について、両親や地元の人々から責められる事がなかった。八歳で書館に通い、そこでも失敗すらなかった。班固の父の班彪に師事し、その生涯のほとんどを地方の一小官吏として過ごしたが、晩年は家に戻り著述に専念した[1][2]。
自伝ともいうべき『論衡』自紀篇に拠れば、先祖は魏郡元城県の人だったが、従軍で功績があって会稽郡に陽亭として着任していた。そこで土地の者と諍いを起こし、難を逃れるために祖父の王汎のときに銭唐県に移り住み、商業で生計を立てた。王汎の子には王蒙・王誦という二人の子供がいた。次男の王誦が王充の父親である。王充は後漢の光武帝の建武3年(27年)に、会稽郡上虞県に生まれた。王誦は、先祖譲りの義侠心が強く、それが災いして勢力家の丁伯らの恨みを買い、一家そろって上虞県に移り住むことになった。
幼少のときから人に馬鹿にされることを嫌って、子どもたちと蝉取りや木登りなどをして遊ぶこともなく、6歳の時、読み書きを教えられた。8歳の頃から書館(学校)に出入りして勉強を始め、師について『論語』と『書経』を学んだ。やがて経書に精通するようになり、独自の学門家級をして師のもとを離れる。
青年時に、都の洛陽に出て太学で班彪(『漢書』の著者の班固の父)に師事して学問を修めた。王充は、「少(わか)くして孤(みなしご)(『後漢書』王充伝)になったと伝えられた。洛陽にいた頃は貧しくて書物を購入することができず、市場の書店で立ち読みして内容を暗記し、ついに諸子百家の学問に通じるようになったというエピソードも伝えられる。
王充は、当時のオーソドックスな学風を好まなかった。「博覧を好んで章句を守らず」(『後漢書』王充伝)と、一経専門の伝統的な家法によって経典を解釈する、いわゆる章句の学を好まず、従来の枠にとらわれない自由な学問研究を志した[3]。
学問を修めた後に郷里に戻って地方行政の下級官吏となったが、上司との意見が合わず、出世することはなかった。30歳代で官職を辞し、郷里の子弟に学問を教えながら、自身は書物・俗説の虚実を見極めようとし、著述に打ち込むようになった。「譏俗」「政務」などを著したものの満足せず、王充の目で見て合理的とはいえない讖緯・陰陽五行説などが流行していたことを遺憾として、のちの『論衡』につながる著作を開始したとみられている。書物は現存していないが、『論衡』と同じように批判精神に富んだ筆致であるか、あるいは『論衡』の中に収められている可能性もあるとみられている[4]。
元和3年(86年)には揚州刺史の董勤に召されて60歳で治中従事史となり、仕事のために著作の意志が弱まったようだが、章和2年(88年)には辞任して隠棲することとなった。隠棲した後にも、同郷の友人の謝夷吾が和帝に上書して登用を薦めたが、王充はもはや病を得ており出仕することはなかった。この後に「養性」16編を著したというがこれも現存しておらず、あるいは『論衡』の中に収められている可能性もあるとみられている[5]。こうして『論衡』の完成に情熱を注ぎいれ、永元年間(89年 - 105年)に、病のために生涯を終えた。『後漢書』王充伝には「永元中、病卒于家」とある。また『論衡』自紀篇に七十歳の心境を語っているように、永元9年(97年)以降の死去と見られている[6]。
王充の思想の特徴は、この世界の森羅万象を気によってとらえた点である。王充は人について、「人気を天よりうけ、気成りて形立つ(人は、気を天から受け、気のはたらきが備われば人の形ができあがる。)」『論衡』(無形篇)と、人は天から受けた気によってその形ができあがることを述べている。これは、まだ母胎にいる時の人の様子を説明したものである。
人で考える場合、人を構成する気それ自体に自己展開するエネルギーがあるのであり、人はその自己展開するエネルギーによって誕生し成長し老化し死滅するという過程をたどるのである。そういうわけで、王充は人を含む様々な生物について述べている。
このように王充に考えでは、人は自己展開するエネルギーによって誕生する、とされた[13]。
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