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日本の小説家 ウィキペディアから
愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。愛媛県立宇和島東高等学校、九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院農学研究科修士課程を経て、博士課程を退学。父は宇和島市役所の職員で観光課の仕事が長かった。多趣味の父に連れられ休日は山歩きや魚釣りなど自然の中で遊ぶ少年時代を送る。高校2年の時に脳腫瘍の疑いで倒れたことがあり、この頃触れた『万葉集』の解説書が文学を目指した原点だという[1]。
高樹のぶ子も所属していた福岡の文芸同人誌『らむぷ』で活動。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞してデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごし 、長い間、妻にも家計を支えてもらいながら作家活動を続けていた[2]。
40代の頃、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』が2001年4月に出版され、発行部数が国内単行本最多記録の306万部となったことで不遇の時代を抜け出す[2]。
『世界の中心で、愛を叫ぶ』は映画版が社会現象化し、その相乗効果で原作の発行部数ももどんどん重版を重ねながらドラマ化、マンガ化、舞台化と多くの人々に広まっていった。当初は自分の想像をはるかに超える反響の大きさに、「小説作品が評価されたのではなく、ブームだから売れている」と気持ちはささくれ立ち、「早く(ブームが)終わってほしい」とさえ当時は思っていたという。青春恋愛小説と自身から銘打って出版した一方で、読者から「恋愛」ばかり注目されたことも本意ではなかった。環境は激変し、自身の銀行口座には見たこともない億単位のお金が振り込まれ、銀行の支店長からは資産運用をすすめられ、親しくも無い人から借金を頼まれたり、ネット上では「(主人公と女性との関係性が)実話に基づく」「モデルは誰だ?」といった投稿がされ、当時は夫婦間にも軋轢が生まれることもあった。こうしたことがストレスとなったのか医師からは命に関わると言われるほど肝機能が異常値を示し約2か月間入院し、不眠にも悩まされ、うつ病になるほど不安定な状態が1年ほど続いた。しかし、そんな中でも若い読者から「世界は美しいんだなと思えました」といった内容の手紙が多く届いたことが一番嬉しかったと片山はのちに語っている。その後も数多くの小説やエッセイなどの著作を精力的に発表しており、『世界の中心で、愛を叫ぶ』発表から約20年の間に評価された作品がないことから自身の友人に「なぜ自身の本が売れないのか」と愚痴る事がある一方で、片山自身は「(過去に『世界の中心で、愛を叫ぶ』が広く読まれたことで)経済的に余裕ができたからこそ、この20年間、自分が書きたいことを自由に書いてこられた。良い作品を世に出すことがその恩返しになる」とかつてのヒットを達観している。2023年時点では、午前中の4時間を執筆活動に充て、午後からは近所の子供と五段の腕前の剣道で汗を流したり、妻と散歩に出かけたりする生活を送っている[2]。
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