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平安時代中期の貴族・歌人 ウィキペディアから
源 兼澄(みなもと の かねずみ)は、平安時代中期の貴族・歌人。初名は兼隆。光孝源氏、右大弁・源公忠の孫。鎮守府将軍・源信孝の子。
一条朝にて陪膳を務め、永延2年(988年)には六位蔵人に左衛門尉検非違使尉を帯びていた。式部丞を経て、永延3年(989年)従五位下に叙爵する。のち、若狭守・加賀守と受領を歴任して、位階は従五位上に至った。若狭守在任中の長徳3年(997年)に宋の商人である朱仁聡から暴行事件を起こされている。
歌人として活躍し、永観元年(983年)一条大納言為光家障子歌、寛和元年(985年)道兼家歌会、長保3年(1001年)東三条院四十賀屏風歌、長保5年(1003年)藤原道長家歌合などに出詠。寛弘9年(1012年)三条天皇の大嘗会では悠紀方の和歌を詠進する。
『拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に11首が採録されている。大中臣輔親・清原元輔・安法・恵慶・藤原実方ら周囲の歌人とも多く交流した。家集に『兼澄集』がある。
注記のないものは『小右記』による。
『尊卑分脈』による。
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