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湯之上 隆(ゆのがみ たかし、1961年 - )は、日本の半導体産業と電機産業のコンサルタントおよびジャーナリスト。微細加工研究所のCEO兼所長、メデイアタブレット取締役、京大原子核工学、阪大工、阪大基礎工、東北大工の非常勤講師。静岡県島田市出身。
1961年生まれの静岡県出身。1987年に京都大学大学院工学研究科修士課程(原子核工学専攻)を修了後に日立製作所に入社し[1]、長らく半導体の微細化に携わる。日立製作所在籍中に55件の特許を出願し、表彰されたことも何度もあった。
1990年代末から2000年代初頭の半導体不況(1998年には日立も史上初の赤字に)において、日立グループが半導体部門のリストラを進める中、日立とNECのメモリ部門を切り離して合併したエルピーダメモリに志願して出向したが、エルピーダ社内でNECと日立の主導権争いに巻き込まれ、降格された上で日本の国家プロジェクトである半導体先端テクノロジーズ(Selete)に出向することになり、茨城県つくば市まで飛ばされる。Selete出向中の2001年にITバブルが崩壊し、2002年に早期退職勧告を受ける。40歳を過ぎているためなかなか次の職が決まらず、決まった頃には早期退職制度の受付が終了していたため自己都合退職となり、本来なら3000万円以上貰えるはずの退職金が100万円しかもらえなかった[2]。しかも次の職でもすぐにクビになり、無職の元半導体技術者としてハローワークに通うなど、2000年代には苦労した時期もあった。
一方で、2000年代には長岡技術科学大学客員教授や同志社大学フェローなどを務め、大学の社会科学者として日本の半導体産業の凋落の原因を追求し、『日本「半導体」敗戦』(2009年)などの著書を著す[1]。
2010年に微細加工研究所を設立し、コンサルタントとして活動しながら、半導体ジャーナリストとしても活動中。
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