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日本のサッカー選手、監督 ウィキペディアから
渋谷 洋樹(しぶや ひろき、1966年11月30日 - )は、北海道室蘭市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。
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名前 | ||||||
カタカナ | シブヤ ヒロキ | |||||
ラテン文字 | SHIBUYA Hiroki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1966年11月30日(57歳) | |||||
出身地 | 北海道室蘭市 | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 67kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1982-1984 | 室蘭大谷高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1985-1992 | 古河/ジェフユナイテッド市原 | |||||
1992-1994 | PJMフューチャーズ | |||||
1995-1997 | NTT関東 | |||||
監督歴 | ||||||
2014-2017 | 大宮アルディージャ | |||||
2018-2019 | ロアッソ熊本 | |||||
2022 | ジュビロ磐田 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2022年12月02日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
元々は野球少年で、ファンだった荒木大輔や王貞治と同じ早稲田実業に行きたいと考える程だったが、小学5年生の頃に中島旭ヶ丘サッカー少年団に入る。2学年下に野田知がおり、後に城彰二も入学するなど、地元では強豪として知られる小学校だった。
高校は室蘭大谷高校と登別大谷高校からサッカー推薦の話が届く中、室蘭大谷を選択。2年生時には東西選抜に選ばれ、3年生時にはキャプテンを務める。チームメイトには前述の野田や財前恵一がいた。
高校卒業後は古河電気工業に入社し、同社のサッカー部に入部。当時の同部は監督に清雲栄純、コーチに同郷の川本治、チームメイトには岡田武史らがいた。Jリーグへの移行時に古河(後のジェフユナイテッド市原)に残れず、PJMフューチャーズへ移籍。その後は中途採用の社員選手という形でNTT関東サッカー部に加入。3年間プレイし現役を引退する[1]。
引退後は大宮アルディージャ下部組織の指導者を歴任し、2004年からはトップチームのコーチを務めた。2010年、ヴァンフォーレ甲府のコーチに就任した[2]。2013年シーズンをもって退任し、2014年より大宮アルディージャのコーチに復帰[3][4]。同年8月31日、大熊清の退任に伴い、大宮の監督に就任[5]。 2014年は15位の清水エスパルスと勝ち点1差で16位となりチームはJ2降格となったが、翌2015年も引き続きチームの指揮を執った。
11年ぶりにJ2の舞台で戦うことになった2015年は、「堅守多攻」をスローガンに、攻守においてイニシアチブを握るアグレッシブなポゼッションサッカーの実現を目指した。 序盤はややもたついたものの着実に勝ち点を積み重ね、第15節で初めて首位の座を奪取した。終盤は熾烈な昇格争いを繰り広げていた磐田や福岡に勝ち点差を迫られるも、第41節のホーム大分戦に0-2から3点を奪って逆転勝利を収めたことで、1試合を残しての1年でのJ1復帰を決め、ならびにクラブ初のタイトルとなるJ2リーグ優勝を成し遂げた。
J1復帰後の2016年はポゼッションから堅守速攻へスタイルを変え、クラブ最高記録の5位でシーズンを終えた。
2017年はポゼッションサッカーにスタイルを戻すがチームは不調に陥り、2017年5月28日に成績不振を理由に大宮の監督を解任された。2017年シーズンは開幕から6連敗を喫し、解任発表まで2勝1分け10敗でJ1最下位に低迷していた。ヘッドコーチであった黒崎久志もあわせて解任された[6]。なお、この年に大宮はJ2へ降格した。
2018年よりロアッソ熊本の監督に就任する[7]。2019年12月1日、契約満了により監督を退任すると発表された[8]。12月21日、ヴァンフォーレ甲府にヘッドコーチとして復帰することが発表された。
2021年12月25日、ジュビロ磐田のヘッドコーチ就任が発表された[9]。翌年の8月17日に伊藤監督の後任として監督に就任したが契約満了によりシーズン終了と共に退任した[10]。
2022年12月2日、ベガルタ仙台のヘッドコーチ就任が発表された[11]。
2023年7月20日に仙台のヘッドコーチを辞任し[12]、7月26日に大宮アルディージャにヘッドコーチとして復帰した[13]。
大宮では不調に陥っていた元日本代表 家長昭博をフォワードとして起用することで才能を開花させた。家長は2015年の大宮のJ1昇格の原動力となり、2016年には2桁得点を記録し、大宮がクラブ最高記録の5位となる原動力となった。
大宮では2015・2017年はポゼッションサッカーを採用し、2016年はロングカウンター型の堅守速攻を採用した。
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