渋沢 芳昭(しぶさわ よしあき、旧字体:澁澤 芳昭、1929年〈昭和4年〉9月12日[1] - )は、日本の実業家、著述家、セントルイス日本会元会長(第7代-10代)[2][3][4]。曽祖父は渋沢栄一、祖父は渋沢篤二、父は渋沢智雄。長男に実業家の渋澤健。従兄弟に渋沢雅英、渋沢裕、渋沢彰。
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経歴
1929年、子爵・渋沢栄一の孫・智雄(実業家)と妻節子の長男として誕生する。芳昭が生まれる前年の1928年に父の智雄が分家していたため、幼少期は分家の跡取りとして育てられたという。
戦後間もない1947年4月に父の智雄を亡くす。以降は一家の大黒柱として懸命に働いたという。1956年、東京外国語大学卒業[5]。
長男・健が誕生した後に仕事の都合により、一家でアメリカに転勤したため、長男健は日本の大学ではなくアメリカの大学で学んだ。
また、実業家として活動する傍ら1998年から2018年まで20年に渡ってセントルイス日本会会長(第7代、8代、9代、10代会長)を務め、2008年には旭日双光章を受章している。
家族
- 渋沢家
- 母・節子(中村勇三郎の姉)
- 弟・芳則
- 弟・芳純
- 妹・百合子
- 妹・加代子
- 長男・健(1961年 - )
- 親戚
系図
著書
- 「銀行員の英会話」(1964年)。
脚注
関連項目
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