海風(うみかぜ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、海風型駆逐艦のネームシップである。舞鶴海軍工廠で建造[6]。同名艦に白露型駆逐艦(海風型駆逐艦 / 改白露型駆逐艦)の「海風」(舞鶴海軍工廠建造艦)があるため、こちらは「海風 (初代)」や「海風I」などと表記される。
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艦歴 |
計画 | 1907年度[1](明治40年)補充艦艇費[2] |
起工 | 1909年11月23日[1] |
進水 | 1910年10月10日[1] |
竣工 | 1911年9月28日[1] |
その後 | 1912年8月28日一等駆逐艦[1] 1930年6月1日掃海艇編入、第七号掃海艇 (二代) と改名[1] |
除籍 | 1936年4月1日[1] |
要目(計画竣工時) |
排水量 | 基準:1,030トン 常備:1,150トン |
長さ | 水線長:97.84m 垂線間長:310 ft 0 in (94.49 m) |
最大幅 | 28 ft 0+13⁄16 in (8.56 m) |
吃水 | 9 ft 0 in (2.74 m) |
深さ | 5.26m |
機関 | 推進:3軸 主機:パーソンズ式直結タービン3軸併結 出力:計画 20,500馬力 ボイラー:イ号艦本式缶 混焼缶6基、重油専焼缶2基 |
速力 | 計画:33ノット |
燃料 | 重油218トン、石炭165トン |
航続距離 | 2,700カイリ / 15ノット |
乗員 | 竣工時定員:139名[3] 1920年時 141名 |
兵装 | 40口径四一式12cm単装砲 2門 40口径四一式8cm単装砲 5門 45cm単装発射管 3基 (竣工直後に45cm連装水上発射管2基4門に換装) |
搭載艇 | 1920年4隻 |
備考 | ※トンは英トン |
その他 | 信号符字:GQBF(竣工時)[4] |
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海風型駆逐艦(海風、山風)はイギリス海軍のトライバル級駆逐艦を参考に開発された大型駆逐艦で、蒸気タービンを搭載した日本海軍初の駆逐艦である。また最初期の航洋型(大型)駆逐艦である。海風と山風は、筑摩型防護巡洋艦3隻(筑摩、矢矧、平戸)と同時に計画された。
海風型は1907年(明治40年)度計画により建造。海風型の基本計画番号はF9、海風の仮称艦名は「伊号大駆逐艦」。同年12月20日、製造訓令[13]。
1909年(明治42年)2月2日、「海風」と命名[6]。同年11月23日、舞鶴海軍工廠で起工[14]。当時の舞鶴工廠では海風と共に桜型駆逐艦の「桜」と「橘」を同時に建造することになった。
1910年(明治43年)10月10日、進水[14][17]。本艦進水式には明治天皇皇太子(のち大正天皇)が臨席した[18]。皇太子は斎藤実海軍大臣、軍令部部長伊集院五郎中将、舞鶴鎮守府司令長官片岡七郎中将、舞鶴海軍工廠長加藤定吉少将等の奉迎を受け、命名書は斎藤大臣が朗読した。
同日附で駆逐艦に類別[21]。
海上試運転中にタービン事故を起こし、艦後部を補強した。
1911年(明治44年)9月28日、竣工[14][23]。
1912年(大正元年)8月28日、駆逐艦に等級が附与され、本艦の等級は一等とされる[24]。同年の大演習には、河内型戦艦(河内、摂津)、筑摩型巡洋艦3隻、海風型駆逐艦(一等駆逐艦)、桜型駆逐艦(二等駆逐艦)等、日本海軍の最新鋭艦が参加した。
第一次世界大戦では第一南遣支隊所属で南洋群島攻略に参加[1]。1918年(大正7年)のシベリア出兵では沿海州沿岸警備に従事[1]。
1926年(大正15年)11月29日、艦艇類別等級表に「艦型」(艦級、クラスに相当)が定められ、本艦の艦型は海風型とされる[26]。同年12月1日から[27]1928年(昭和3年)12月10日まで鎮海要港部に所属し[28]、この間主に朝鮮半島で活動する[29]。
1930年(昭和5年)6月1日、駆逐艦籍を除かれ[29]掃海艇に類別変更[30]、「第七号掃海艇」(二代)に改称。1936年(昭和11年)4月1日、除籍。
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 駆逐艦長
- 桑島省三 中佐:1910年12月20日 - 1912年12月1日
- *兼舞鶴海軍工廠艤装員(1910年12月20日 - 1911年9月29日)
- 新納司 中佐:1912年12月1日 - 1913年12月1日
- 関才右衛門 中佐:1913年12月1日 - 1914年2月19日
- (心得)小泉親治 少佐:1914年2月19日 - 1914年12月1日
- 小泉親治 中佐:1914年12月1日 - 1915年5月1日
- (心得)石川庄一郎 少佐:1915年5月26日[32] -
- 石川庄一郎 中佐:1915年12月13日 - 1916年6月1日
- (心得)砥川三郎 少佐:1916年6月1日 - 1916年8月1日
- 砥川三郎 少佐:1916年8月1日 - 1916年12月1日
- 岡本郁男 少佐:1916年12月1日 - 1917年10月8日
- 奥井茂 少佐:1917年10月8日[33] - 1918年11月12日[34]
- (兼)副島慶一 中佐:1918年11月12日[34] - 1918年12月1日[35]
- 村上正之助 少佐:1918年12月1日[35] - 1919年4月1日[36]
- (心得)村上正之助 少佐:1919年4月1日[36] - 1919年12月1日[37]
- (心得)山本松四 少佐:1919年12月1日[37] - 1920年10月25日[38]
- (兼・心得)蒲田静三 少佐:1920年10月25日[38] - 1920年12月1日[39]
- (心得)大久保義雄 少佐:1920年12月1日[39] - 1921年1月7日[40]
- (兼・心得)赤沢堅三郎 少佐:1921年1月7日[40] - 1921年3月5日[41]
- (心得)田川薫 少佐:1921年3月5日[41] - 1921年12月1日[42]
- (心得)岩城茂身 少佐:1921年12月1日[42] -
- (心得)染河啓三 少佐:1922年12月1日[43] - 1923年11月1日[44]
- (心得)一ノ瀬英太 少佐:1923年11月1日[44] - 1924年12月1日[45]
- 吉田庸光 少佐:1924年12月1日[45] - 1925年12月1日[46]
- 岩原盛恵 少佐:1925年12月1日[46] - 1927年7月25日[47]
- 境澄信 少佐:1927年7月25日[47] - 1928年12月10日[48]
- 横山茂 中佐:1928年12月10日[48] - 1929年11月30日[49]
- 稲垣義龝 少佐:1929年11月30日[49] - 1930年6月1日[50]
- 掃海艇長
- 稲垣義龝 少佐:1930年6月1日[50] - 1930年11月15日[51]
- (兼)谷口信義 少佐:1930年11月15日[51] - 1930年12月1日[52]
- 成田茂一 少佐:1930年12月1日[52] -
- (兼)有田貢 少佐:1931年12月1日[53] - 1932年4月1日[54]
#海軍制度沿革10-1(1972)p.505、明治43年10月10日(内令183)『海軍定員令別表中ヘ附表ノ通驅逐艦定員表其四ヲ追加セラル | 艦第二十一表ノ二 | 驅逐艦定員表 其四 | 驅逐艦名 | 海風 | (以下略) |』將校同相當官8人、兵曹長同相當官、准士官3人、下士37人、卒91人。同書p.508、明治44年7月6日(内令116)『海軍定員令別表驅逐艦定員表其四中「海風」ノ次ニ「山風」ヲ追加セラル』
#2月 画像1『達第十二號 驅逐艦海風外一隻ニ左ノ通信號符字ヲ點付ス 明治四十四年二月六日 海軍大臣 男爵齋藤實 信號符字 艦名 GQBF 海風 GQBL 山風』
幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ94(原本150頁)『海風型〔二隻〕 艦種一等驅逐艦 艦名考風の種類に採る。以下風に因める驅逐艦總て然り。海風(うみかぜ) 艦歴大正3-9年役從軍:南洋群島占領に参加、昭和5年除籍。山風(やまかぜ) 艦歴大正3-9年役從軍:南洋群島占領に参加、昭和5年除籍。 ―要目― 長94.49米/幅8.56米/吃2.74米/排水量1,030噸/機關 パーソンタルビン3軸 艦本式罐8/馬力 20,500/速力33/乗組人員140/船材 銅/兵装 12糎砲2/機砲5/發射管4/探照燈2|海風 (起工)明治42-11-23 (進水)明治43-10-10 (竣工)44-9-28 (建造所)舞鶴工廠/山風 (起工)明治43-6-1 (進水)明治44-1-21 (竣工)44-10-21 (建造所)三菱造船所』
#海軍制度沿革8(1971)pp.88-92『大正十五年十一月二十九日(内令二三八) 艦艇類別等級別表ノ通定ム(別表省略)』| 驅逐艦 | 一等 | 海風型 | 海風、山風 |
- 遠藤昭・原進『駆逐艦戦隊』朝日ソノラマ〈文庫版新戦史シリーズ63〉、1994年7月。ISBN 4-257-17283-5。
- 岡本孝太郎『舞廠造機部の昭和史』文芸社、2014年5月。ISBN 978-4-286-14246-3。
- 海軍省/編『海軍制度沿革 巻四の1』 明治百年史叢書 第175巻、原書房、1971年11月(原著1939年)。
- 海軍省/編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
- 海軍省/編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 海軍省/編『海軍制度沿革 巻十一の2』 明治百年史叢書 第185巻、原書房、1972年5月(原著1941年)。
- 木俣滋郎『駆逐艦入門 水雷戦の花形徹底研究』光人社〈光人社NF文庫〉、2006年7月。ISBN 4-7698-2217-0。
- 宮内庁図書寮 編『大正天皇実録 補訂版 第三 自明治四十一年至明治四十四年』株式会社ゆまに書房、2018年8月。ISBN 978-4-8433-5041-6。
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- 造船協会『日本近世造船史 大正時代』 明治百年史叢書、原書房、1973年(原著1935年12月)。
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- 日本舶用機関史編集委員会 編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。
- 福井静夫 著、阿部安雄・戸高一成/編集委員 編『福井静夫著作集 軍艦七十五年回想記 日本駆逐艦物語』 第5巻、光人社、1993年1月。ISBN 4-7698-0611-6。
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- 福田啓二 編『軍艦基本計画資料』今日の話題社、1989年5月。ISBN 4-87565-207-0。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。
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- 牧野茂、福井静夫 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年5月。ISBN 4-87565-205-4。
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 別巻1 海軍艦艇図面集 I』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0541-1
- 艦船模型スペシャル No.17 日本海軍 駆逐艦の系譜 1
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『「公文備考艦船4 軍艦鳥羽駆逐艦海風山風製造 巻20」/製造命令及予算(1)』。Ref.C07090131700。
- 『「公文備考艦船4 軍艦鳥羽駆逐艦海風山風製造 巻20」/進水式関係』。Ref.C07090132100。
- 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/駆逐艦(3)』。Ref.C14010006100。
- 『2月』。Ref.C12070062000。