浜詰村(はまづめむら)は、京都府竹野郡にあった村。現在は京丹後市の大字である網野町浜詰・網野町磯・網野町塩江に分かれている。 概要 はまづめむら 浜詰村, 廃止日 ...はまづめむら浜詰村廃止日 1950年4月1日廃止理由 新設合併網野町、浜詰村、木津村、郷村、島津村 → 網野町現在の自治体 京丹後市廃止時点のデータ国 日本地方 近畿地方都道府県 京都府郡 竹野郡市町村コード なし(導入前に廃止)総人口 2,025人(臨時国勢調査、1947年)隣接自治体 竹野郡網野町、木津村熊野郡湊村浜詰村役場所在地 京都府竹野郡浜詰村座標 北緯35度39分42秒 東経134度58分06秒ウィキプロジェクトテンプレートを表示閉じる 画像提供依頼:浜詰の代表的な名所または文化財の画像提供をお願いします。(2019年7月) 地理 日本海 夕日ヶ浦海岸(浜詰海岸)- 「日本の夕陽百選」に選出[1] 五色浜 - 美石が出土し、一条天皇の時代に上東門院に献上されたことにより「御志起浜」の名を賜った[2]。 歴史 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、浜詰村・磯村・塩江村によって竹野郡浜詰村が発足。 1927年(昭和2年)3月7日 - 北丹後地震発生。家屋倒壊150戸、村内の死者30人。村内各所で熱湯(出典ママ)が噴出[3]。 1950年(昭和25年)4月1日 - 浜詰村が網野町・木津村・郷村・島津村と合併し、改めて網野町が発足。同日浜詰村廃止。同町大字浜詰・磯・塩江となる。 名所・史跡 浜詰遺跡 - 縄文時代の貝塚と集落の遺跡。竪穴建物が復元されている[4]。 箱石浜遺跡 - 弥生時代の遺跡で、中国の新時代の貨幣が出土した[5]。 大泊古墳群 - 横穴式石室があったとされる3基の古墳。 志布比神社 - 式内社。浜詰の村社。 福寿院 - 2002年(平成14年)には魚や蟹の供養を行う夕日魚籃観音が建立された。 ギャラリー 箱石浜 浜詰海岸 浜詰海岸の夕日 出典 脚注 [脚注の使い方] [1]“日本の夕陽百選”. 2019年7月15日閲覧。 [2]浜詰のあゆみ執筆者委員会『浜詰のあゆみ』浜詰区、1997年、26頁。 [3]第一震で全町倒壊した網野・峰山両町『大阪毎日新聞』昭和2年3月9日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p222 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年) [4]浜詰のあゆみ執筆者委員会『浜詰のあゆみ』浜詰区、1997年、3頁。 [5]浜詰のあゆみ執筆者委員会『浜詰のあゆみ』浜詰区、1997年、8頁。 参考文献 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府』角川書店、1982年 浜詰のあゆみ執筆者委員会『浜詰のあゆみ』浜詰区、1997年 関連項目 京都府の廃止市町村一覧この項目は、日本の市区町村に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本の都道府県/PJ:日本の市町村)。表示編集 Wikiwand - on Seamless Wikipedia browsing. On steroids.