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戦国時代の女性。北条氏康の五女。足利義氏の正妻。 ウィキペディアから
浄光院(じょうこういん、? - 天正9年6月15日(1581年7月15日))は、戦国時代の女性で第5代古河公方足利義氏の妻。実名は不詳。法号は浄光院殿円桂宗明大禅定尼。
父は相模国の戦国大名北条氏康。母は長塚孝や黒田基樹の研究から、菩提寺の宗派の検討から庶出であったこと、古河公方家の正妻は嫡出子の体裁をとるのが適切であるため、婚姻にあたっては瑞渓院と養子縁組をした(可能性が高い)と推測している[1]。
長女足利氏姫(徳源院殿)が天正2年(1574年)生まれ、長男梅千代王丸が天正4年(1576年)生まれ、次女が天正7年(1577年)生まれと見られているため、天文19年(1550年)から永禄3年(1560年)頃の間と推測されている。婚姻時期は義氏の母の芳春院殿が、死去する永禄4年(1561年)まで「御台」と称されていて、その死去後、元亀2年(1571年)に浄光院殿が「御台」と称されているので、義氏の動向も勘案すると永禄12年から元亀3年頃と推測されている[注釈 1]。
父の死去に伴い、瑞渓院とともに自らの逆修供養(生前供養)を行っている[3]。
天正9年(1581年)6月15日死去。氏姫以外は早世したという[3]。
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