波崎事件
日本の保険金殺人事件 ウィキペディアから
事件の概要
1963年8月26日の深夜、茨城県鹿島郡波崎町の男性(当時35歳)が帰宅後に苦しみだし、搬送先の病院で死亡した。遺体からは青酸化合物が検出され、警察は殺人事件として捜査を開始した。被害者のイトコの内縁の夫である男性(当時46歳)が私文書偽造、同行使の容疑で逮捕されており、同年11月にこの男性を1959年に発生した殺人未遂についてもあわせて起訴した。1審、2審とも死刑が宣告され、最高裁で1976年4月1日に上告が棄却されて刑が確定した。また、1959年に発生した殺人未遂についてはこの後に無罪が確定した。
その後、2度にわたり再審が請求されたが、無罪を証明する明らかな証拠を提出していないために棄却され、3度目の再審請求準備中の2003年9月3日の午前1時48分、慢性腎不全により収容先の東京拘置所にて死亡(享年86)。晩年は慢性腎不全のため輸血や透析の治療を受けながら寝たきりの生活が続いていた。
当時、最高裁判事であった団藤重光は、この裁判を機に死刑廃止論を展開した。
弁護側の主張
被疑者は一貫して無罪を主張しており、その主張は次のとおりである。
- 有罪の根拠は、被害者が死ぬ直前に「薬を飲まされた。H(男性の屋号)だ」と発言したという被害者の妻の証言[1]と、生命保険金の受取人が被疑者であったことと帰宅前の被害者に最後に接触して毒物を飲ませることができた可能性が最も高い人物であるとの状況証拠だけである。
- 生命保険は元々は受取人は途中から却下取消を申し込み勧誘員も了承していたが、被疑者の知らないところで契約ノルマのために勧誘員によって保険契約が締結されており、被疑者が生命保険が成立していることを知らなかった可能性がある。
- 毒物の入手先を検察側は実証していない。
- 毒物の鑑定方法にも疑問がある。
脚注
参考文献
関連書籍
関連項目
外部リンク
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