法蓮
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法蓮(ほうれん、生没年不詳)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての僧。
宇佐神宮の神宮寺であった弥勒寺の初代別当。英彦山や国東六郷満山で修行したという修験者的な人物でもある。宝亀8年(777年)に託宣によって八幡神が出家受戒(これにより八幡大菩薩の称号を得る)した際にはその戒師を務めた。大分県宇佐市近辺にいくつもの史跡・伝承を残している。
医薬に長けていたとされており、『続日本紀』によると、その功績で大宝3年(703年)9月に豊前国の野40町を賜った。養老5年(721年)6月には、その親族に宇佐君姓が与えられた。このような事績から、『日本書紀』に見られる豊国奇巫や豊国法師との関連、そして記紀に見られる仏教公伝・仏教私伝以前に北部九州へ仏教が伝来していた可能性を指摘する説もある。法蓮は九州の山中に修行し、独自に得度して僧となり、山中に岩屋を構え、独特の巫術で医療をおこなっていた。『八幡宇佐宮御託宣集』『彦山流記』『豊鐘善鳴録』などでは、法蓮は山岳修験の霊場彦山と宇佐八幡神の仲介をした人物とされている。こうしたことから法蓮を彦山を中心に活動した山岳仏教の祖とする多くの伝承が生れた。一方、法蓮は用明天皇の病気治療のため入内した豊国法師、あるいは雄略天皇不予の際に入内したとされる豊国奇巫の系譜を引く人物であったとする見解がある。つまり豊前地方には、畿内にさきがけて独自の仏教文化が栄え、こうした巫術的な医術を駆使する巫僧集団が活動しており、法蓮の医術もその系譜を引くものであり、このような巫術的医術ゆえに褒賞を受けた[1][2][3]。
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