沢原為綱

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沢原為綱

沢原 為綱[1]澤原 爲綱[2][3][4][5]、さわはら ためもと[6]1839年8月27日天保10年7月19日[7]〉 - 1923年大正12年〉4月8日[4][7])は、日本の公共事業家[1]政治家、広島県多額納税者[2]貴族院多額納税者議員[3]崇徳銀行頭取[8]広島県農工銀行取締役[8]。族籍は広島県平民[3]

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沢原為綱

経歴

安芸国安芸郡荘山田村(現・広島県呉市)の人である[5]農業を営む[3][5]。広島県農工銀行の創立に関与する[2]1878年(明治11年)、安芸郡長に任ぜられる[4][5]。ほか、同郡所得税調査委員などを務めた[4][7]

1890年(明治23年)、広島県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[9]から1897年(明治30年)9月28日まで在任した[4]。貴族院在任中、大阪築港、小樽築港、広島市の上水道敷設などに尽力した[7]

人物

浄土真宗信仰した[6]。長男の俊雄に家督を譲ると身を閑静の地に置き、悠々仏門に入る[2]。住所は呉市荘山田[2]

家族・親族

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旧澤原家住宅
澤原家

脚注

参考文献

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