池田斉訓
江戸時代後期の大名。因幡鳥取藩9代藩主。従四位上・左近衛権少将。鳥取藩池田家宗家11代。池田斉稷の嫡子次男 ウィキペディアから
江戸時代後期の大名。因幡鳥取藩9代藩主。従四位上・左近衛権少将。鳥取藩池田家宗家11代。池田斉稷の嫡子次男 ウィキペディアから
池田 斉訓(いけだ なりみち)は、江戸時代後期の大名。因幡鳥取藩9代藩主。官位は従四位上・左近衛権少将。
8代藩主・池田斉稷の次男として誕生した。
父・斉稷は始め徳川家斉の十三男を養嗣子・斉衆としたため、斉訓は庶子扱いだったが、文政9年(1826年)に斉衆が早世したため嫡子となる。天保元年(1830年)、父・斉稷が死去して家督を継ぐ。天保2年(1831年)、将軍家斉の前で元服式を行い、偏諱を受け斉訓と名乗る。従四位下侍従に任じられ、因幡守と称す。その後、家斉の娘・泰姫と婚約し、徳川宗家より厚遇される。天保6年(1835年)、左近衛権少将に昇任する。天保7年(1836年)、領国鳥取で天保の大飢饉が深刻化し、申年がしんと呼ばれた。天保11年(1840年)、泰姫と婚儀が行なわれ、従四位上に昇任する。
天保12年(1841年)、江戸城で死去した。法号は瑞徳院殿智覚良温大居士。嗣子が無かったため、分家の池田仲律の長男・慶行が養子として跡を継いだ。墓所は鳥取藩主池田家墓所。
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