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毛沢東の1964年の声明書 ウィキペディアから
『毛主席語録』(もうしゅせきごろく)、また『毛語録』(もうごろく)とは、中華人民共和国を建国した毛沢東共産党主席の様々な言葉から引用し、共産党の指導下で編集された語録である。
日本では一般に『毛沢東語録』(もうたくとうごろく)として知られ、表紙の赤色から西側諸国では Little Red Book とも呼ばれる。
1964年から1974年頃まで、中国を始め、世界各国で広く読まれ、当時の政治や文化、学生運動に強い影響を与えた本。とくにフランスの五月革命に強い影響を与え、毛沢東はスターリン亡き後の中ソ対立の世界にあって、新しい共産主義世界の指導者と見なされていた。
改革開放後の中国国内では中山服(人民服)とともにオールドファッションなものとなり、懐古的な(とくに文化大革命時の)過去の栄光を現在につたえるものとなっている。
内容は「毛沢東が全く新しい段階に高めたマルクス・レーニン主義」[1](毛沢東思想)を柱とした語録だけあって、その入門書としてわかりやすく書かれている。
当初は党副主席兼中華人民共和国元帥の林彪が1964年に人民解放軍向けに編集を命じて刊行されたものであったが、文化大革命(文革)が発動された1966年に一般向けの出版が開始された。まもなく紅衛兵や紅小兵が常に携帯するようになり、紅衛兵の集会で振りかざされるシーンは文革を象徴する光景となった。
1966年から中国で出版されたものは、ポケットに入れて持ち歩くことを想定し、汗で濡れることもあるので表紙は赤色のビニール製であった。刊行よりほどなく赤地に一色刷りの毛沢東の肖像が描かれる表紙が一般的となった。
※以下、外文出版社(北京)刊行の日本語版(1967年の第2版)による。
目次に続いて本文は431ページ。それらの前に以下のようなページがある。
1971年に林彪が失脚すると、林彪によるまえがきは削除されたが、発行は続けられた。しかし四人組も失脚した後の1979年2月12日に「林彪が毛沢東思想を断章取義によって捻じ曲げたものであり、四人組の害毒を垂れ流すもの」として公式の発行は停止された。現在でも人気が根強く、書店や通信販売などで購入でき、中国土産として土産物業者が文革当時のタイプを製造販売している。
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