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毛氏 豊見城殿内(もううじ とみぐすくどぅんち)は、唐名・毛国鼎、中城按司護佐丸盛春を元祖とする琉球王国の士族(首里士族)。五大姓(五大名門)の一つ、毛氏豊見城の大宗家(本家)。代々豊見城間切(現・豊見城市)の総地頭を務めた琉球王国の大名。名乗頭は「盛」。
一世・護佐丸の先祖は、伝承によれば、北山王怕尼芝によって滅ぼされた先今帰仁按司だという。護佐丸は尚巴志とともに怕尼芝王統を滅ぼし、先祖の仇を討った。また、座喜味城や中城城を築き、中城按司を称したが、勝連按司阿麻和利によって滅ばされた。
二世・盛親は尚真王に抜擢されて、豊見城間切の総地頭職に就いた。以後、歴代当主は代々豊見城間切を領した。五世・盛続は謝名一族の謀反の際、討伐で功績があった。七世・盛常は明へ慶賀正使として赴くも、清に世替わり、さらに帰路で山賊に阻まれるなどして過労で客死。十世・盛邑は琉球人が絹織を密売したのを謝罪するために、使者として薩摩へ赴く途中の洋上で遭難死。妻は尚益王次女・思真鶴金。十一世・盛幸の後妻は、玉城親方朝薫の四女・思武太。
豊見城殿内の門中は五大姓(五大名門)の一つとして、多数の三司官を出すなど、大いに繁栄した。門中の家譜数は111冊と最多。
※豊見城御殿の当主が王子に昇った場合、同一家名を避けて豊見嶺等に改名した。
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