母に捧げるバラード

1973年の海援隊のシングル ウィキペディアから

母に捧げるバラード」(ははにささげるバラード)は、日本フォークバンド海援隊のインディーズ2作目及びメジャー5作目(通算10作目)、メジャー22作目(通算27作目)のシングル

インディーズ盤

概要 「母に捧げるバラード」, 海援隊 の シングル ...
「母に捧げるバラード」
海援隊シングル
初出アルバム『望郷篇』
B面 さすらいの譜
リリース
規格 7インチシングル盤
ジャンル 歌謡曲
フォーク
時間
レーベル エレックレコード
作詞・作曲 武田鉄矢(作詞)
海援隊(作曲)
プロデュース 海援隊
チャート最高順位
  • 10位オリコン
  • 1974年度年間42位(オリコン)
海援隊 シングル 年表
恋挽歌
(1973年)
母に捧げるバラード
(1973年)
故郷未だ忘れ難く
1974年
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概要

  • 前作「恋挽歌」から約4か月ぶりのシングルで、A面はアルバム『望郷篇』に収録されていたものとはアレンジが異なり、シングル用に新たに録音されている。
  • 今作で翌年の『第16回日本レコード大賞』で企画賞を受賞し、同じく翌年の『第25回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。
  • オリコンチャート最高位10位を獲得。自身初のトップ10入りを果たした。
  • 2007年に発売されたエレックシングルボックスでは母にささげるバラードもアルバム音源が収録されている。

収録曲

  1. 母に捧げるバラード [3:58]
    作詞:武田鉄矢
    作曲:海援隊
    編曲:三保敬太郎
    上京したものの売れなかったため、武田が母親に宛てるフォークソングの詫び状をコンセプトに書いた楽曲[1]
  2. さすらいの譜 [4:09]
    作詞:武田鉄矢
    作曲:中牟田俊男

メジャー盤

概要 「母に捧げるバラード」, 海援隊 の シングル ...
「母に捧げるバラード」
海援隊シングル
初出アルバム『航海誌』
B面 故郷未だ忘れ難く
リリース
規格 7インチシングル盤
ジャンル 歌謡曲
フォーク
時間
レーベル テイチクエンタテインメント/BLACK
作詞・作曲 武田鉄矢(作詞)
海援隊(作曲)
プロデュース 有賀茂
海援隊 シングル 年表
昭和けんかロック
(1973年)
母に捧げるバラード
(1973年)
思い出が手を振る
1978年
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概要

収録曲

  1. 母に捧げるバラード [4:01]
    作詞:武田鉄矢
    作曲・編曲:海援隊
    インディーズ2ndシングルの表題曲のライブ音源。
  2. 故郷未だ忘れ難く [3:45]
    作詞:武田鉄矢
    作曲:中牟田俊男
    編曲:海援隊
    インディーズ3rdシングルの表題曲のライブ音源。

メジャー再発盤

概要 「母に捧げるバラード」, 海援隊 の シングル ...
「母に捧げるバラード」
海援隊シングル
リリース
規格 8センチシングル
ジャンル 歌謡曲
フォーク
レーベル ポリドール・レコード
作詞・作曲 武田鉄矢(作詞)
海援隊(作曲)
海援隊 シングル 年表
ライスカレー
1997年
母に捧げるバラード
(1999年)
エレジー
(1999年)
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概要

  • 前作「ライスカレー」から1年3か月ぶりのシングル

収録曲

  1. 母に捧げるバラード
    作詞:武田鉄矢
    作曲・編曲:海援隊
    2ndライブアルバム『一場春夢』からの音源化。
  2. 母に捧げるバラード'82
    作詞:武田鉄矢
    作曲・編曲:海援隊
    4thライブアルバム『始末記』からの音源化。

収録アルバム

  • 望郷篇 (#2)
  • 12の風景 (#2)
  • 航海誌 (#1,2)
  • 海援隊EPILOGUE (#2)
  • 海援隊 全曲集 (#2)
  • 海援隊 (#1,2)
  • 海援隊/贈る言葉 (#1,2)
  • 全曲集 (#1,2)
  • BEST〜エレック・イヤーズ〜 (#1,2)
  • 海援隊 全曲集 (#1,2)[注 1]
  • ベストアルバム (#1,2)

エピソード

1974年にジャーナリスト竹中労が、鈴木清順監督に映画が撮れるようと東映に橋渡しし[2]、鈴木の映画復帰作として東映で映画化を予定されたことがある[2][3][4][5][6][7][8]。内容は吉原ソープランドが舞台で[3]、偏屈な江戸っ子が主人公と[3]、曲のイメージとはかけ離れているが、脚本は佐々木守と東映の内藤誠の共作[3][4]、主演は岡田裕介で、武田鉄矢の出演も予定し[6][8]、製作も発表されていた[5]。ところが岡田裕介が脚本を読み、自宅で父の岡田茂東映社長に「こんなホンで東映はよく映画を作っているね」と言ったら、岡田茂もホンを読み「確かに酷い」と認め、岡田茂は翌朝、出社するなり社内で怒鳴り散らし、本作の企画を出したプロデューサーをクビにし企画も潰した[6][8]。武田の俳優デビューももう少し後になった[5]

脚注

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