檜前部老刀自
ウィキペディアから
ウィキペディアから
檜前部 老刀自(ひのくまべ の おいとじ、生没年不詳)は、奈良時代の女官。姓は檜前とも表記される[1]。上野国佐位郡の人・采女[1]。姓は無姓、のち君。のち、上毛野佐位朝臣。位階は従五位下。
檜前部は宣化天皇の名代の部であり、東漢氏系列の檜前氏とは別の系譜である。『続日本紀』のは、宝亀2年3月に遠江国城飼郡の人で、檜前舎人部諸国の名前が見える[2]。天平感宝元年(749年)8月の調庸布(正倉院御物楷布屏風袋)墨書銘に、「佐位郡大領」として、「梔前部君賀味麻呂」[3]の名があり、縁者だと思われる[4]。
正倉院文書に登場する、佐味命婦と同一人とする説がある[5]。その伝によれば、天平19年12月(748年1月)に東大寺写経所は、彼女の宣により方軌4巻を内裏に請い[6]、同20年3月にも、その宣により陀羅尼集経1部12巻を内裏に請い[7]、天平勝宝3年(751年)正月にも、その宣により、法花玄賛第一巻を書写している[8]。
称徳朝の天平神護2年(767年1月)に昇叙され、翌年、上野佐位朝臣を賜姓。さらにその翌年の神護景雲2年(768年)には、上野国の国造に任命されている。この時、掌膳[1]。
『続日本紀』による
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.