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桂 玉團治(かつら たまだんじ)は、上方落語の名跡。現在は空き名跡となっている。
2代目 桂 玉團治(1875年12月21日 - ?)は、本名: 皮田元吉。享年不詳。
初代桂春團治の実兄。最初1894年ころに2代目月亭文都の門下で都平を名乗る。文都の死後、1901年ころに2代目桂文團治(後の7代目桂文治)の門下に移り、團作を経て、1909年12月、2代目玉團治を襲名。
得意ネタには「鳥屋坊主」「おたおたの太助」「茗荷宿」などがあった。
弟よりも入門は早かったが、結局、落語家としては大成せず、弟の付き人か取巻きのような形で収まった。初代春團治が死去した際には既に廃業しており、弟の家の家主であった豊田三味線店の番頭をしていたという。
没年は不明。大正中期ころとも昭和初期ころともいわれる。
3代目 桂 玉團治(1897年8月31日 - 1962年)は、本名: 藤本勘三郎。享年65?。
生まれは大阪で、初め旅廻りだったが、名古屋で巡業中の初代春團治に入門し、桂春太樓を名乗る。後、漫才に転向し、桂家(桂屋)春太樓・秀奴で高座を勤め、一人相撲などの珍芸を披露。
1955年ころ、落語に復帰し、師匠・春團治の一人娘であった東松ふみ子の勧めにより、3代目玉團治を襲名。晩年は京都で過ごし、「京都市民寄席」、自身主催の「西陣寄席」(毎月開催)などに出演していた。得意ネタには「親子酒」「近日息子」「阿弥陀池」などがあった。
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