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1777-1813, 江戸時代中期・後期の南画家、篆刻家 ウィキペディアから
林 十江(はやし じっこう、安永6年12月17日(1778年1月15日) – 文化10年9月19日(1813年10月12日))は、江戸時代中期・後期の日本の南画家・篆刻家である。通称長次郎、名は長羽、字を子翼・雲夫。十江は号で、他に十江狂人、風狂野郎、水城俠客、草巷販夫、印禅居士、懶惰山老など数多い。水戸の人。
水戸にて酒造業を営む高野惣兵衛之茂の長男に生まれる。高野家の屋号は升屋といい、代々組頭、名主役、町頭などを歴任した豪商だった。婿養子だった父は御目見格をもち、文が風流を好んだという。のちに父の実家で、同じ町内で醤油醸造業伊勢屋を営む伯父・林市郎兵衛枝茂の養子となった。なぜ長男であった十江が養子に出され、弟の長吉が高野家を継いだのかはよく判っていないが、父・之茂は林家から高野家に婿入りしているため、両家の間に何らかの約束事があったことが想像される。
画に生来的な才能を持ち、12歳の頃立原翠軒の家に出入りするうちその画才を示し、翠軒を驚かせている。この頃9歳年下のまだ幼い立原杏所に絵筆を握らせ画の指導をしている。年々その技量が高まり、ついに江戸に出て谷文晁に画才を認められ、文晁の代筆となって金屏風を画いた。奔放で大胆な構図が特徴でとりわけ花鳥画・虫獣画に優品が多く、十江梅花は大いに賞賛された。文化10年(1813年)、生活に貧窮し水戸に帰るが病に倒れた。享年38。墓は水戸市元吉田町の浄土宗清巌寺。墓碑銘は翠軒が撰文し、杏所が書した。十江はまた篆刻にも巧みで没後に『立原杏所林十江印譜』が発行された。
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