Loading AI tools
日本のサーファー (2002 - ) ウィキペディアから
神奈川県茅ヶ崎市出身。実家が海岸に近いところにあり、両親がロングボード・ボディボードをやっていたこともあり、その影響で詩野も自然とサーフィンをやるようになったという[2][3]。6歳の時に地元茅ヶ崎のサーフィンスクールに入門、その初日にすぐに波乗りをマスターして周囲を驚かせた逸話を持つ[4]。
2014年度、小学校6年生の時に日本サーフィン連盟公式検定にて、ショートボード1級・2級を取得[5]。
2015年に茅ヶ崎市立第一中学校に進学[4]。2016年7月の夢屋サーフィンゲームス田原オープン大会(愛知県・田原市赤羽海岸)にて日本プロサーフィン連盟(JPSA)公認プロ資格を取得[6]。同大会では3位に入賞した[7]。同じ2016年には第51回全日本サーフィン選手権大会(田原市赤羽海岸)のガールズ部門で優勝を飾る[8][4]。この後、世界プロサーフィン連盟公式ツアーであるワールドサーフリーグ(WSL)ジャパンツアーに参戦を始め、WSL JAPAN第7戦のTRUMP Hyuga Pro(宮崎県日向市小倉ヶ浜海岸)にてシニアウィメンズ部門でプロ初優勝を果たした[9]。
サーフィン日本代表(波乗りジャパン)には、2016年世界ジュニアサーフィン選手権大会(ポルトガル・アゾレス諸島)のU-18ガールズ代表メンバーに召集されたのが初であった[10]。この2016年世界ジュニアでは3回戦で敗退している[11]。
2017年はWSL JAPAN ウイメンズジュニア年間チャンピオンに輝く。2017年、2018年共にワールドサーフリーグランキングアジア女子部門で2年連続1位となった[12][13]。
2018年にプロサーファーとして世界を転戦することを考え、通信制高等学校に進学[14]。高校進学直後のWSL Q1000の一宮千葉オープン(千葉県一宮町・釣ヶ崎海岸)女子シニアで優勝[15]。2018年世界ジュニアサーフィン選手権大会(アメリカ合衆国・カリフォルニア州ハンティントンビーチ)では女子U-16で銀メダルを獲得し、団体金メダルを獲得した[16]。
2019年になると、5月に釣ヶ崎海岸で開催された第1回ジャパンオープンオブサーフィンに出場。日本のトップクラスサーファー16名によるこの大会では決勝戦で中塩佳那を下して初代ジャパンオープン女王となった[17]。9月には2020年東京オリンピックの出場枠が賭けられた『2019 ISA World Surfing Games』(宮崎県宮崎市・木崎浜海岸)に出場し、アジア選手最高の15位となって東京オリンピック出場権をほぼ手中とした[4]。
2020年3月に、バービー人形のモデルに選ばれた。黒柳徹子、大坂なおみに続いて日本人として3人目[18]。
2024年パリ五輪予選を兼ねた今年のワールドゲームズ(WG=世界選手権に相当、5~6月、エルサルバドル)でアジア最上位の13位となり、全競技を通じて日本勢第1号のパリ五輪代表に内定した。来年2月開幕のWG(プエルトリコ)に出場する条件を満たし代表権が確定した[20][21]。パリオリンピックでは 風が入りコンディションが悪く、バレル(ホレた波)も少ない中でプレーとしベストを尽くせず、準々決勝敗退となった
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.