松浦信英
ウィキペディアから
ウィキペディアから
松浦信正 (市左衛門)の長男として生まれ、天和3年(1683年)3月19日徳川綱吉に御目見した[1]。元禄4年(1691年)12月2日書院番士となり、元禄5年(1692年)3月25日桐間番、9月11日近習番に転じ、10月3日小姓となった[1]。
元禄11年(1698年)7月3日蔵米の代わりに武蔵国久良岐郡・相模国鎌倉郡内600石の知行地を与えられた[1]。12月5日家督を継いで計1,300石となったが、その内300石は蔵米として父の隠居料に充てられた[1]。
宝永6年(1709年)綱吉が死去し、2月21日寄合に列した[1]。正徳3年(1713年)7月18日使番となり、享保2年(1717年)1月15日巡見使として駿河国・近江国・三河国・尾張国・伊賀国・伊勢国・志摩国・甲斐国・信濃国・飛騨国・美濃国等を回った[1]。享保4年(1719年)12月11日先鉄砲頭となり、享保9年(1724年)2月19日辞任、8月23日死去した[1]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.