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日本の江戸時代前期の大名。出雲松江藩4代藩主松平直政三男で、母里藩初代藩主(母里松平氏初代当主)。従五位下右近大夫 ウィキペディアから
松平 隆政(まつだいら たかまさ)は、江戸時代前期の大名。出雲国母里藩の初代藩主。母里松平家の祖。正室は、信濃国小諸藩藩主・松平憲良(忠憲)の娘[1][2]。
慶安元年(1648年)7月8日、松江藩藩主・松平直政の三男として生まれる[3][1][4]。母は側室・長谷川氏[1]。幼名は他人丸[5][1][4]。長兄・綱隆から偏諱を与えられて隆政(「政」は父・直政より一字を取ったもの)と名乗る[要出典]。
寛文2年(1662年)12月27日、従五位下右近大夫となる[5][1]。
寛文6年(1666年)2月3日、父が亡くなり、同年4月10日、兄・綱隆が家督を継いだ[6][7]。同月29日、綱隆から1万石を分知され、支藩・母里藩が成立した[6][4]。当初は領地ではなく蔵米による支給だった[3]。
延宝元年(1673年)2月4日、26歳で死去した[1][4]。法名は徳翁院仁誉儀公勇徹[1]。菩提所は天徳寺(現・東京都港区虎ノ門)[8]。
嗣子がなかったため、死に際し、9歳の弟・直丘(直高)を末期養子とすることを願ったが認められず、所領は宗家に返還された[9][2]。その後、綱隆が幕府に願い出たことにより、同年5月13日、直丘に家名存続が許された[9][10][2]。
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