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戦国時代から江戸時代初期の武将 ウィキペディアから
三河国の戦国大名・松平氏の支流にあたる能見松平家の二代重親の孫、阿知和松平氏を継いだ重忠(玄鉄)の子という[6]。東条松平家の家忠に仕え、主にその家老・松平康親の指揮に属した[2]。『張州府志』は永禄3年(1560年)1月に尾張村木砦を守備し、水野信元の軍勢を退けたという記事を載せている[注釈 2][7]。永禄4年(1561年)吉良義昭との戦いに戦功があった。天正7年(1579年)駿河持船城攻略では山内真次らとともに一番乗りを果たした[2]。
天正9年(1581年)松平家忠が没すると、徳川家康の四男・忠吉が東条家を継ぎ、翌年には駿河三枚橋城主となった。天正18年(1590年)忠吉が忍城主となると、忠広はその家老に就く。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いでは先陣を務め、戦後に忠吉が清洲藩に封じられると4,000石を知行、慶長11年(1606年)には1,000石を加増された。慶長16年(1611年)清州にて77歳で没。家督は子の秀勝が継承した[8]。
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