東郷実乙
ウィキペディアから
ウィキペディアから
安永4年(1775年)、父・東郷実昉の隠居につき家督相続。寛政元年(1789年)、御目付に就任。役料銀6枚30目をもらう。のち物頭兼鎗奉行に就任。役料米73俵をもらう。文化元年(1804年)11月8日、死去。
実乙は流祖重位以来と言われるほどの達人であり、「示現流中興の祖」と言われる。物頭は兵具奉行が改名した職であるから東郷重利以来、4世代ぶりの就任であった。なお、鑓奉行と物頭は兼職するのが決まりであった[2]。しかしながら目附就任時には役料銀をもらっていたが、これは「薩藩政要録」によれば、石高50石以下の者に支給されるものであり、家格小番の割に持高が少なめであったことが窺える。なお、幕末の御小姓与西郷隆盛の石高は41石余りであったので、これと大して変わらなかったことが分かる。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.