東成警察署襲撃事件
日本の事件 ウィキペディアから
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東成警察署襲撃事件(ひがしなりけいさつしょしゅうげきじけん)は、1951年(昭和26年)12月1日に、大阪府大阪市東成区で発生した事件。
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2019年9月) |
1951年11月10日午後6時頃、大阪市東成警察署の警察官が泥酔している在日朝鮮人男性(安重鎔)を生野区大友町[1] で発見、保護した。保護後、男性の容態が急変し、治療の甲斐なく午後7時30分死亡が確認された。
司法解剖の結果、死因は肝臓が破裂したことによる多臓器不全であった。彼は泥酔しながら自転車に乗り、誤って転倒した時に身体を強く打ち、動けなくなったところを警察官に保護されたのであった。
翌日、署長は面会に訪れた遺族に、事の次第を詳細に説明したが、朝鮮人は男性の死を警察官のリンチによる殺害と決め付けて、一方的なデマを流し、東成警察署に抗議するようになった。
1951年11月12日午前7時30分ごろ、生活擁護同盟生野支部長ら約30名が署長に面会を求め、署長は代表者6名と面談し、真相を詳細に伝えた[1] 。
1951年12月1日午前11時頃、朝鮮人たちは旧御幸森朝鮮人小学校(今の大阪朝鮮第四初級学校)に集まり、東成警察署までデモ行進した。
その後、元御幸森朝鮮人学校に集合し、12時15分ごろ東成警察正門前に到着した。さらに同署の東方道路から約20名、南方道路から20名が殺到し気勢を上げて署内に突入しようとしたので、大阪市警視庁機動隊はそれを阻止した。その際デモ隊は、クロールピクリン酸入りサイダーびん3本、投石や唐辛子を投げつけて抵抗した。この事件で3人が公務執行妨害罪で逮捕された[1] 。
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