村井醸造株式会社(むらいじょうぞう)は、茨城県桜川市真壁町真壁に本社および工場を置く日本の酒造会社。
「1673 - 1680年(延宝年間)に、常陸の国・真壁の町に行商人(近江商人)であった村井重助が、醤油・味噌販売の店を構えたと、日野(現・滋賀県浦生郡日野町)商人における関東出店の最も古い記録にある」と、滋賀県日野町観光協会発行の『日野・その歴史と自然』に記載されている。村井重助は、その常陸国・真壁の町で酒造業を始めた[1]。杜氏は、岩手県の南部杜氏が務めている。現在、12代目蔵元・村井重司が「公明(こうめい)」ブランドの日本酒を醸造販売する老舗酒造メーカーである[2]。
- 「公明」の由来
もともとは「公明正宗」という銘柄だったが、戦後、「公明」とした。公明(コーメー)は「米(コメ)」に通じるとして名付けられた[3]。
- 仕込み水
筑波山系に降り注いだ雨水が、御影石によって濾過された伏流水を、井戸から汲み上げて使用している[2]。
- 酒造見学 - ホームページまたは電話にて予約必要
- 定休日 - 日曜日、祝日
- 営業時間 - 午前8時 - 午後5時
- 登録有形文化財(建造物)
- 村井醸造脇蔵
- 登録年月日:2000年(平成12年)12月4日、種別:産業2次/建築物、登録基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの。
- 年代:1902年(明治35年以前)建築、土蔵造2階建、瓦葺、建築面積105m2[4]。
- 村井醸造石蔵
- 登録年月日:2000年(平成12年)12月4日、種別:産業2次/建築物、登録基準:造形の規範となっているもの。
- 年代:1912年 - 1925年(大正期)建築、木造2階建、瓦葺、建築面積145m2[5]。
- 村井醸造店舗
- 登録年月日:2004年(平成16年)11月8日、種別:産業2次/建築物、登録基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの。
- 年代:1868年 - 1911年(明治初期)建築、土蔵造2階建、瓦葺、建築面積231m2[6]。
- 村井醸造煙突
- 登録年月日:2004年(平成16年)11月8日、種別:産業2次/建築物、登録基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの。
- 年代:1926年 - 1988年(昭和初期)建築、鉄筋コンクリート造、高さ22m[7]。
「滋賀県日野町観光協会発行の『日野・その歴史と自然』に、「関東や奥州の各地へと上方商品を運ぶための中継地点として、江戸時代の初期である延宝年間(1673 - 1680)に常陸の国・真壁の町へ、行商人(近江商人)であった村井重助が醤油・味噌販売の出店を構えたのが日野商人における関東出店の最も古い記録である」と記載されている
茨城新聞『甘口風潮に辛口一徹』2000年12月17日、2016年10月18日閲覧
- 小西泰次郎著『茨城県工業用水源地域調査報告 関東東部地域調査第3報』「良区用水組合 村井醸造株式会社」産業技術総合研究所地質調査総合センター、1960年
- 茨城新聞『甘口風潮に辛口一徹』「甘味の勝る日本酒が持てはやされた時代があった。いわゆる級別廃止以前の時代で、当時は関西の大手醸造会社が席巻した。村井醸造は、そんな風潮の中でも頑固に「辛口」の味を追求し続けたという。裏つくばの豊穣(ほうじょう)の地にあって米と水にこだわり、初代が銘柄に託した「公明正大」の志を今に受け継ぐ。清澄な辛口の酒からは、山あいの隠れ里を探し当てたようなしみじみとした味わいが広がってくる」2000年12月17日、2016年10月18日閲覧
- 『公明(こうめい)(デジタル大辞泉プラス)』「茨城県、村井醸造株式会社の製造する日本酒」2012年4月