Loading AI tools
ウィキペディアから
杉 興運(すぎ おきかず/おきゆき)は、戦国時代の武将。周防国・長門国を本拠とする大内氏の家臣。杉興長(おきなが)の子、応永の乱で活躍した杉豊後入道重運の子孫[1]。「興」の字は父同様、大内義興から偏諱を賜ったものである。
周防国の大名・大内義隆(義興の子)に仕えて、筑前の守護代を務めた[2]。居城は若杉山城主[3][1]。
享禄3年(1530年)には義隆の命を受けて大内軍を率いて少弐資元を攻めるが(田手畷の戦い)、資元の家臣であった龍造寺家兼の機略の前に一敗地にまみれた。その後も大友氏などと交戦し、北九州の大内軍を任されていたと言う。
天文19年(1550年)7月17日、従五位下に叙位[4]、22日に太宰権少弐となる[4][5]。
天文20年(1551年)、陶隆房(のちの晴賢)が謀反を起こした際には大内義隆に従ったが、義隆が大寧寺で自害した後、自身も九州糟屋浜において義隆に殉じて自害したという記録[8]と、陶軍と戦い討ち死にした記録[9]と、義隆と同行し共に切腹した記録[10]があり、定かではない[11]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.