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日本のサッカー指導者、元選手 ウィキペディアから
杉浦 大輔(すぎうら だいすけ、1974年5月11日 - )は、埼玉県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。欧州サッカー連盟 (UEFA) 公認B級コーチライセンス取得。現役時代はストッパーやリベロでプレーした[1]。
伊奈サッカー少年団時代、第10回全日本少年サッカー大会に出場しグループリーグで敗退。伊奈町立南中学校時代にはサッカー部キャプテンとして、1989年の埼玉県学徒総合体育大会でチームを県ベスト8へ導く。その時のポジションはセンターハーフ。
埼玉県立伊奈学園総合高校時代の1992年にはインターハイ出場[1]、三浦淳宏擁する長崎県立国見高等学校に敗れている[2]。また、1992年第47回国民体育大会に出場し4位。この時のポジションはDFもしくはMF。
東洋大学卒業後、ドイツへ留学[1][2]。語学学校へ通いながら、ドイツ4部、5部リーグのいくつかのクラブに所属し、選手としてプレーしていた[1][2]。3年目からは並行してケルン体育大学でスポーツ経営学とコーチング学を学び、修士課程にまで進んだ[1][2]。
2006年6月、サンフレッチェ広島の織田秀和強化部長の通訳としてミハイロ・ペトロヴィッチとの監督契約交渉の場に出席する[2]。これが縁でケルン体育大学を休学して日本に帰国し、ペトロヴィッチ監督やランコ・ポポヴィッチコーチの通訳に就任した[2]。
通訳ではあるが、サッカー選手としての海外経験があること、コーチングを学んでいることなどから、就任当初から練習の補充メンバーや選手の相談役などを積極的に務め、実質的にはコーチとして働いていた[1]。2009年にケルン体育大学を中退し正式にコーチ兼任となった[1]。通訳からのコーチ就任は球団初である[1]。この際ペトロヴィッチ監督から「本当は選手として契約したかったほどだ」とジョーク混じりに賞賛されている。
2012年、ペトロヴィッチの浦和レッズ監督就任に伴い、自身としては地元でもある浦和へ通訳兼コーチとして移籍した[3]。
2017年、ペトロヴィッチの浦和レッズ監督解任に伴い、通訳兼コーチを解任された[4]。
2018年01月10日、ペトロヴィッチが北海道コンサドーレ札幌の監督に就任したことに伴い、ペトロヴィッチの通訳兼コーチとして契約。
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