人物
全羅道昇州出身。第54代景明王の末裔で、後百済の甄萱の女婿となり、将軍として活躍した。936年、高麗の王建に帰附の意思を伝える書簡を送り、甄萱の長男・甄神剣を討つならば内応すると約束した。後百済滅亡後は、高麗において優遇され、娘2人が第3代定宗の王妃(文恭王后・文成王后)となっている。
参考文献
- 「アジア人物史 3」 集英社 2023年
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全羅道昇州出身。第54代景明王の末裔で、後百済の甄萱の女婿となり、将軍として活躍した。936年、高麗の王建に帰附の意思を伝える書簡を送り、甄萱の長男・甄神剣を討つならば内応すると約束した。後百済滅亡後は、高麗において優遇され、娘2人が第3代定宗の王妃(文恭王后・文成王后)となっている。
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後百済および高麗の武臣 ウィキペディアから