本多当一郎

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本多 当一郎(ほんだ とういちろう、1934年[1] - 2018年2月4日[2])は、日本アナウンサー日本テレビ解説委員[1][3]日本記者クラブ会員[1][2]

概要 ほんだ とういちろう本多 当一郎(本多 當一郎), プロフィール ...
ほんだ とういちろう
本多 当一郎
(本多 當一郎)
プロフィール
出身地 日本 大分県
生年月日 1934年
没年月日 2018年2月4日
最終学歴 早稲田大学
職歴 日本テレビアナウンサー
日本テレビ解説委員
フリーアナウンサー
活動期間 1956年 - 2018年
ジャンル スポーツ報道
出演番組・活動
出演経歴 大相撲中継
日本プロレス中継
ボクシング中継
NNN日曜夕刊
ほか
その他 日本記者クラブ会員
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名前は「本多當一郎」と書く場合もあり[4]

来歴・人物

大分県出身[4]早稲田大学卒業[4]後、1956年に日本テレビへ入社[4][1][5]。同期に赤木孝男志生野温夫らがいる[5]。以来、大相撲プロレスボクシングなどの格闘技を中心としたスポーツ実況中継のアナウンサーとして活躍。入社2年目の1957年には、日本初のゴルフ中継として放送されたカナダカップ中継を担当した[6]1966年には、日本テレビアナウンサー初の海外出張としてアルゼンチンから世界フライ級タイトルマッチ・海老原博幸対アカバロ戦中継の実況を担当した[7]。翌1967年には、日本テレビ初の衛星中継としてアメリカ合衆国ヒューストンアストロドームから世界ヘビー級タイトルマッチ・アリ対ヘレル戦中継の実況を担当した[8]1982年には、正力杯全日本学生柔道体重別選手権の実況を倉持隆夫とともに担当した[9]

スポーツアナとして活躍する一方で1970年からはニュースキャスターも務め、『NNN日曜夕刊[1][3]NNN JUST NEWS』『NNN6:30きょうのニュース』『NNNライブオンネットワーク』(いずれも土曜日)『NNN昼のニュース』(土曜日・日曜日など)『読売新聞あすの朝刊』、系列CS放送の日本テレビケーブルニュース(現:日テレNEWS24)で放送の報道番組[1]で活躍した。その間、解説委員[1][3]も務めた。

1994年、同局を定年退職[10]。定年まで務めたアナウンサーは、日本テレビでは小林完吾についで2番目であった[10](人事異動で離れたアナウンサーも含めれば小川光明倉持隆夫山下末則松永二三男増田隆生などがいる)。その後はフリーアナウンサー[1]、日本テレビアナウンスカレッジ講師[1]を務めた。

2018年2月4日、死去。83歳没[2]

出演番組

スポーツ中継

報道番組

さらに見る 期間, 番組名 ...
期間番組名役職
1974年4月7日1988年3月27日 NNN日曜夕刊キャスター
1980年4月6日 NNN昼のニュース【休日】
1983年4月2日1984年3月30日 NNN JUST NEWS【土曜版】
1984年4月7日1986年9月28日 NNN6:30きょうのニュース【土曜版】
1986年10月4日1988年3月27日 NNNライブオンネットワーク【土曜版】
1990年代前半 読売新聞あすの朝刊
日本テレビケーブルニュース(現:日テレNEWS24
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その他

脚注

参考資料

関連項目

外部リンク

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