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日本の陸軍軍人 ウィキペディアから
末松 茂治(すえまつ しげはる、1882年(明治15年)5月15日[1] - 1960年(昭和35年)8月6日[1])は、日本の陸軍軍人、小倉市長。最終階級は陸軍中将。政治家の迫水久常は甥。
福岡県出身[1][2]。末松久次郎の長男として生まれる[3]。1902年(明治35年)11月、陸軍士官学校(14期)を卒業[1][4]。1903年(明治36年)6月、歩兵少尉に任官[4]。1911年(明治44年)11月、陸軍大学校(23期)を卒業[1][5]。
1924年(大正13年)8月、歩兵大佐に昇進し歩兵第1連隊長に就任[2]。1925年(大正14年)5月、歩兵第45連隊長に移り、さらに教育総監部庶務課長を務める[2]。1930年(昭和5年)3月、陸軍少将に進級し歩兵第36旅団長となる[1][2]。1931年(昭和6年)8月、陸軍歩兵学校付となり、陸士幹事を経て、1934年(昭和9年)3月、陸軍中将に進み陸士校長に就任[1][2]。
1935年(昭和10年)12月、第14師団長に親補された[1][2]。1937年(昭和12年)3月、待命、そして予備役に編入[1][2]。同年10月、日中戦争に伴い召集され新設の第114師団長に就任し出征[1][2]。南京攻略戦、徐州会戦に参戦[1]。1939年(昭和14年)3月、参謀本部付、そして召集解除となった[1][2]。
その後、小倉市長を1942年(昭和17年)5月27日から1946年(昭和21年)1月25日まで務めた[3][6]。1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[7]。
墓所は多磨霊園(9-1-8)
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