木谷 徳雄(きたに とくお、1909年2月15日 - 1947年1月4日)は日本のスピードスケート選手。 経歴 1909年、中華民国奉天省安東市に生まれる[1][2]。 1929年の第1回全日本スピードスケート選手権大会で優勝[3]。1932年のレークプラシッドオリンピックでは500m、1500m、5000m、10000mの4種目に出場したがいずれも予選で敗退した。 1944年満州にて招集され、終戦後はソ連によって抑留される[1][2]。1947年、シベリア南部チタ州の収容所にて肺炎の為死去[1][2]。 脚注 [1]『朝日新聞』1993年3月26日朝刊22頁「戦没五輪選手、また一人 スケート初陣の木谷徳雄さん JOC調査 」 [2]曾根 2020, 9-10頁. [3]「第一回全日本スケート競技選手権大会を八戸で開催」1930年(昭和5年)1月13日、東京朝日(夕刊) 参考文献 曾根幹子「「戦没オリンピアン」をめぐる調査と課題 ―広島県出身選手を事例に―」『広島市公文書館紀要』第32号、2020年、1-13頁。 表1 日本人戦没オリンピアン(2020年1月末日現在)(pp.9-10)外部リンク Speed skating 1932 (ポーランド語) 木谷徳雄 - Olympedia(英語) 冬季オリンピックメモリーズこの項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。表示編集Wikiwand - on Seamless Wikipedia browsing. On steroids.