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朝邑県(ちょうゆう-けん)は、中国にかつて設置された県。現在の陝西省渭南市大茘県朝邑鎮に相当する。
487年(太和11年)、北魏により設置された南五泉県を前身とする。南五泉県は華州澄城郡に属した[1]。554年(廃帝3年)、西魏により華州は同州と改称された。南五泉県は朝邑県と改称され、同州武郷郡に転属した。607年(大業3年)、隋により同州が馮翊郡と改称されると、朝邑県はそのまま馮翊郡に属した[2]。618年(武徳元年)、唐により馮翊郡が同州と改められると、朝邑県はそのまま同州に属した。620年(武徳3年)に河浜県は分割設置されたが、627年(貞観元年)に河浜県は廃止された[3]。760年(乾元3年)、蒲州が河中府と改められると、朝邑県は河中府に転属し、河西県と改称された。768年(大暦3年)、河西県は朝邑県の称にもどされ、同州の属県にもどされた。五代・北宋[4]・金[5]・元[6]・明[7]にわたって、朝邑県は同州に属した。清のとき、朝邑県は同州府に属した[8]。
1949年以後は朝邑県は渭南専区に属した。1956年、陝西省の管轄県となった。1958年に朝邑県は廃止され、大茘県に統合された。
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