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朝田寺(ちょうでんじ)は、三重県松阪市朝田町(あさだちょう)にある天台宗延暦寺派の仏教寺院である。山号は光福山。院号は延命院。本尊は地蔵菩薩。地域では「朝田の地蔵さん」のほうが通りが良い[1]。
「朝田寺縁起」の伝える伝承によれば、平安時代、練公長者(ねりきみのちょうじゃ)の本願により空海(弘法大師)が創建したとされ[1]、本尊の地蔵菩薩立像は空海の作と伝わる[2]。鎌倉時代、正応年間には伏見院(伏見天皇)の院宣により七堂伽藍を建立した[3]。その後、織田信長の伊勢国平定の際に焼失するも、元亀年間に現在の地に移転[1]。そして慶長年間には松坂城主の古田重勝に寺領を寄付[3]して、城主に従っている。また、江戸時代には絵師・曾我蕭白が旅の際に2度立ち寄り、多くの作品をいまに残している(#文化財を参照)。明治時代より牡丹庭園が作られ、現在では約700株の牡丹が植えられている[4]。
2014年7月には、県内を中心に活躍している4人の作家が、寺に襖絵を寄贈した。襖絵は経堂のふすまに描かれた。
近年の略歴
当寺の周辺では道開け供養と呼ばれる風習がある。これは宗派は不問で、葬儀の終わりから地蔵盆の時期まで、故人の衣類を本堂の天井に掛け(掛衣という)、地蔵菩薩に故人の冥福を祈るという、全国的に見ても珍しいものである[1]。 以前は伊勢の他の地域でも行われていたが、現在まで残っているのはこの地域のみである。
平安時代には 「わしが死んだら 朝田の地蔵に かけておくれよ 振り袖を」と歌われており、地域との昔からの関わりがうかがえる[要出典]。
牡丹【四月中旬~四月下旬ごろ】
地蔵盆【八月十六日~八月二十三日】
朝田地蔵祭り【八月二十三日】
除夜の鐘【十二月三十一日】
このほか、不定期で写経会や、オペラ歌手によるミニコンサートなども開催されている。
朝田寺の周辺は、縄文時代から江戸時代の集落跡である「堀町遺跡」という遺跡でもある[12]。この遺跡からは「盛法寺」[13]や「少■寺」(2字目は不明)[12]と墨書された平安時代の陶器が発掘されており、当地周辺は古来より多くの寺院が関わる場所だったことがわかっている[14]。
寺の周りは、秋には黄金いろの稲穂を恵む、田んぼに360度囲まれている。田んぼの真ん中に位置するため、民家などは隣接しておらず、静寂を保っている。山門へと至る、正面の道には、たくさんの松の木が植えられている。なお近年耕地整理事業により、松阪市立朝見小学校方面へと至る農道が完成し、風景が少し変わりつつある。
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