昭仁公主(しょうじんこうしゅ、崇禎10年(1637年) - 崇禎17年3月18日(1644年4月24日))は、明の公主。明の最後の皇帝である崇禎帝の娘である。諱は不詳。 概要 昭仁公主, 続柄 ...昭仁公主続柄 崇禎帝皇女称号 昭仁公主身位 公主出生 崇禎10年(1637年)死去 崇禎17年3月18日(1644年4月24日)(享年8)紫禁城父親 崇禎帝テンプレートを表示閉じる 崇禎帝の実録と起居注は編まれておらず、昭仁公主の母親については記録が混乱している。一説には袁皇貴妃とされるが、他の妃嬪某氏が公主の生母だったともされている。 崇禎17年3月18日(1644年4月24日)夜間、順軍に紫禁城が包囲される中、父帝の手で斬殺された。 参考文献 『明史』 - 列伝第九 公主伝 『烈皇小識』 『崇禎長編』 Wikiwand - on Seamless Wikipedia browsing. On steroids.