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星野 庄三郎(ほしの しょうざぶろう、1869年6月15日(明治2年5月6日) - 1931年(昭和6年)1月22日)は、日本の陸軍軍人。陸士2期、陸大14期。栄典は従三位勲一等功三級[1]。最終階級は陸軍中将。
新潟県小千谷町(現小千谷市)出身[2]。1891年(明治24年)7月、陸軍士官学校(2期)を卒業。翌年3月、工兵少尉任官。1900年(明治33年)12月、陸軍大学校(14期)を卒業。陸軍省軍務局軍事課勤務となる。
日露戦争に満州軍総司令部参謀として出征。1908年(明治41年)12月、工兵第18大隊長となり、1910年(明治43年)11月、工兵大佐に昇進。1912年(大正元年)9月、参謀本部要塞課長に就任。
1916年(大正5年)8月、陸軍少将に進級し参謀本部第3部長に着任。1918年のシベリア出兵においては東支鉄道の利権を主張し、アメリカから提案されたシベリア・東支鉄道国際管理案の受諾を求める幣原喜重郎外務次官と対立したが[3]、翌年2月10日、協定は米国の要求を呑む形で締結された。
1919年(大正8年)7月、野戦交通部長に異動し、同年11月、陸軍中将に進んだ。1920年(大正9年)10月、参謀本部付、1921年(大正10年)3月、陸大校長となる。1922年(大正11年)2月、航空局長官に発令され、同年11月、第9師団長に親補された。1925年(大正14年)5月に待命、そして予備役に編入された。
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