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星川 正甫(ほしかわ せいほ、文化2年3月7日(1805年4月6日) - 明治13年(1880年)7月16日)は、日本の武士(盛岡藩士)、岩手県公吏である。
盛岡藩士鴨沢恒褒の次男として生まれ、文政5年(1822年)、同藩士星川吉律の養子となり星川姓となる。
文政6年(1823年)藩主南部利用の御使者番給仕となり、次いで、南部利済の時、盛岡本御蔵奉行、大槌御山奉行、金山吟味役、田名部御山奉行、御勘定奉行、上田通御代官など盛岡藩内の役職を歴任した。
文久元年(1861年)9月、盛岡藩士の諸家系図『参考諸家系図』八十八巻の編輯を終えて藩主に奉った。
明治以後は岩手県庁地理編輯掛、国史編輯兼務となり、『岩手県管轄地誌』の編纂にあたったが、明治13年(1880年)7月、病気により退職、同月16日に75歳の生涯を終えている。
参考諸家系図 (さんこうしょけけいず)は、南部藩(八戸藩を含む)南部氏一門282系、家臣諸家2491系に及ぶ系譜総覧。
盛岡砂子 (もりおか すなご)は、『江戸砂子』(江戸の郷土史)を参考にして、盛岡を中心にその近郊を網羅した盛岡城下の代表的地誌。天保4年(1833年)の初稿『盛岡砂子温古名跡誌』以来、加除修正が加えられ、明治7年(1874年)5月 『増補盛岡砂子』として変遷を補い稿を終了した。
自筆原本は岩手県立図書館に所蔵されている。[1]
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